ここ数ヶ月、更新を止めていました。
まぁ疲れていたんですね。コロナ禍での祇園祭ですっかり心身の体調を崩してしました。
年が変わり、気分も変わってきましたので更新を再開しようと思います。
さて、今日は私の誕生日でして48歳です。年男。
年男の年には神職の会報誌みたいなものに寄稿を依頼されます。これは茨城県の方々が対象の会報誌ですね。今年は20人くらいいらっしゃいましたかね?
36歳の時にも依頼されましたがその時は書きませんでした。48歳の今回は書きました。ただ、内容は36歳の時に思っていた事と変わりません。
なぜ、36歳の時には提出しなかったかと言えば、若さがネックになって思っていることが伝わらないと思ったからです。今は48歳。気持ちは12年前と変わりません。ただ、年齢は重ねました。業界の中でも若い方でもありませんし(一定の方々からは小僧と言われそうですが)、気持ちを述べたところでどうってことないと思うような経験もくぐり抜けてきました。
なので良いかなと。
23年かな?
この業界に入り様々な事を経験しました。それはブログの最初の方でも書いてありますが、今は書けないことも沢山あります。心のなかに仕舞っておこうと思っている事も沢山あります。ただ、年齢とともに心境が変わるように伝えなければならないと思いが至ることもあると思います。伝える対象が誰になるかは分かりませんが。
12年前と気持ちは変わりませんが、唯一加わった気持ちがあるとすれば
今の自分を評価するのは他人だけれど、過去の自分を評価できるのは今の自分だけだと思う
って事かな?
次の12年後に君はよく頑張ったと自分に言ってあげたいですね。もし言えたなら満足出来る人生を歩んでいたのでしょう。しかし、その言葉は今ではない。まだ48歳なのでね。
何があっても僕の気持ちは気持ちはいつも写真の通りです。これは変わらない。
さて、こんなことを書いていました。制限は500文字らしいので伝わったかは分かりませんが。
過去と未来との中今で思うこと
鉄は熱いうちに打てと言うが、二十数年、この場所で様々な角度から言葉の強弱で打たれた私は切れ味の良い真っ直ぐな日本刀になったのか?切れ味の悪い歪んだ鈍ら刀になったのか?未だ自分では分からない。浅学非才の身だが、私が神職を志して心に誓った事は実直に向き合ってきた。しかし若く未熟で信頼のなかった私は2:6:2の法則を心に刻み、賛の2の方々に感謝し、6の方々には胸襟を開き私を理解してもらうよう努め、否の2の方々には目一杯の意見をぶつけ合ってきた。人生はやり直しがきかない。故に一つの事に熱中し情熱を込める意義があるのだと思う。過去を顧みて私が意志の強い人なのか?それともただの我儘な人なのか?結局評価するのは他人であり、その評価は私の言葉と行動が導く結果が全てなのだから、私はこれからも自分自身を律し、時に正しいと思う事は言葉にして世間に私の存在証明を問いながら生きていこうと思う。私が未来に見据えるものが大切な氏子と共有出来るものだと信じて。晴天を誉めるには日没を待てとあるように、人生の夕暮れ時に私は晴れやかに生きたと顧みられるように歩みたい。妬まず、僻まず、人に嘘をつかぬように。
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