今年も平沼の花火大会が催されました。
今年で4回目になるそうです。私は昨年から悪疫退散を願うと言う主催者側のお話を受けて今年も伺った次第です。
昨年の様子はこちらですね。
花火大会に先立ち悪疫退散の神事を行いました。
神職の立場からお話しすればお祭りは神事と神賑行事で成り立つことが多いです。この行事で言えば花火の打ち上げが神賑行事に当たるのでしょうね。私から言えば、平沼花火大会はイベントでは無く神に願い祈る祭礼になったんだと思います。
そして、あの花火は観覧者の願いを込めて打ち上げられたのだろうと。
今回の花火大会は昨年よりも条件が厳しかったのだろうと思います。なんと言っても緊急事態宣言下ですからね。様々な花火大会が中止になるなか規模の差はあれど開催する決断というのは重いと思います。主催者側は大変だったでしょう。
そんな事を書いていたらこれを思い出しました。
台風接近の中、軒並みどこの祭礼も中止になるなか当社は行ったんですよ。いや、電話は鳴り止まず、胃は痛くて……でも大丈夫だと判断して決断した以上はやりきらねば……
きっとあの時の僕と同じ気持ちだったのかもしれませんね。決断することは大変です。
私が感じた限りは主催者の感染症対策は出来る限りのことをしていたと思います。花火大会のシークレット開催。観覧人数の制限、アルコール提供の禁止。徹底していたと思います。
この花火大会を観ながら来年の祇園祭に思いを馳せていました。来年はどうなるんだろうとね。現状では様々なイベントは制限がかけられています。ただ、ワクチン接種が進むなか、日本人の7割近くが摂取するだろうと言われるワクチン接種が終わってもこのような制限の多い状態で良いのだろうかと率直に思います。ワクチンを接種しているのだから恐る恐るでもいいから少しずつ戻していかなければどうやって以前の姿に戻るのだろうかと思います。
ただ、神社の祭礼はあくまでも奉納行事です。主体は氏子です。宮司は氏子の気持ちを神様に届けるのが仕事です。奉納する氏子さんが安心して神賑行事が出来る状況、そして何よりもお祭りを行おうと言う気持ちが無ければ行えないと思います。氏子さんが安心できる状況。来年の春までにくるのだろうか?果たしてコロナ禍で密も密な神輿を担ぐことを世間が認める状況が来るのかと思います。
岸和田のだんじりが行われましたね。様々な意見が寄せられていました。大阪の知事は神事の側面がある祭礼を中止要請することは出来ないと言っていました。そうでしょうね。おそらく行政側が宗教行事にあたる祭に制限をかけることは政教分離の憲法違反に当たるのだと思います。
神社によっては大きな祭礼で納めていただく寄付で年間の神社の維持管理に当てるところもあります。経営面の視点から考えても行政が祭礼中止要請したとしても宗教法人に対しての金銭補償は出来ませんしね。
だからこそ祭礼の執行は主催者側の責任は重いのだと思います。来年の春までには決断しなければ行けません。なんで春なのかって?夏のことは春までに決めないと準備が出来ないからですよ。7月の祭礼は4月には準備が始まっています。来年はコロナもあるし2月くらいから打ち合わせしないとね。
数日後には緊急事態宣言が解除されます。その後の日本人はどのような思考回路になっていくのでしょうか?
花火を見上げながら来年のお祭りの着地点を考えてしまいました。
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