子供の頃から祇園祭の時に地域に建つ幟が大好きです。
特に好きな写真はこれ。夕陽に幟が美しい。
子供の頃は僕の実家のすぐ隣に幟が建っていました。風が吹くとギーッギーッっときしむ音が何とも言えずわくわくしたものでした。自転車で各町内の幟を見に友達と駆け回りました。何て書いてあるか分からないのに。大人になっても分からなかった。神職をしてから何となく読めるようになった。文化財の調査の時に同級生が大学の教授をしていたので解読よろしく!って解読してもらったんだよな。その節はありがとう。
お祭りが始まる週の初めの日曜日は準備の日。地域の方々が総出で幟立てや提灯などの飾り付けをします。その頃は若者達は山車の飾り付けと練習。それはそれは楽しみでした。だって、非日常が始まるんですから。本当に色んなことがありました。楽しいこともそうでないことも。でも全て引っくるめて素晴らしい思い出です。楽しいことだけでは楽(らく)になってしまいますからね。苦楽はセットでなければいけません。だから人間は喜びを感じて生きていけるんですよ。
大人になってお酒も地域のなかで覚えましたね。毎日毎夜練習に行くのが楽しみで仕方が無かった。子供達に踊りを教えた後は大人の練習。それが終われば宴会。昔話に花が咲き、同じ話を繰り返す。
まさか、それが仕事になるとはみじんも思わなかったなぁ…
立場が変わってそれは出来なくなってしまいました。一緒には楽しめなくなってしまった…
僕は25歳で神職になりました。その上次男なので幟立てには余り参加したことがなかったんですよね。父か長男が出ることがおおいので。長男はこのような機会に表に出てお付き合いを覚えていくんです。僕は次男だったの将来守谷に住むなんて考えていませんでした。それが今ではすっかり守谷人になりました。いや守谷人が深化しましたね。
ただ、一回だけ出たことがあるんです。あの時は周りの大人に言われるがままやっていたような気がします。ほとんど覚えていません。ただ暑かったと記憶しています。幟を立て提灯を飾れば直会がありコミュニケーションが深まります。
とにかく、幟が建てばそれは非日常、つまりはハレの日。町中がお祝いムードです。コロナがおさまってまた町中がお祝い一色になることを願っています。
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