先日のヤフーニュースで石岡市総社宮の祭礼について特集されていましたね。
「オリンピックもやらねんだもん。無理だよな」――祭りの「消えた」街、来年の確約もできない中で【#コロナとどう暮らす】
今、全国で神社の祭礼が軒並み中止、規模縮小になっています。その経済損失は1兆8000億円と言われています。
当社の祇園祭も神賑わい行事が中止となりました。
神事は中止ではない、わかりにくいですね。
さて、この総社宮の記事をみて何よりも注目したのはコメント欄です。コメント欄には様々に意見が寄せられていました。その中で目をひいた意見はこちら。
お祭り中止になって良かった。
※もちろん、この意見は石岡のお祭りが中止になって良かったではなくて、全国的に祭礼の役員に携わっている方のコメントですよ。
この意見が多いのは専らお祭りを運営する側の方々のようでした。私も元々氏子側の人間だったので分かりますが、お祭りは参加しているときは楽しい。しかし、役員になったりすると大きな負担になってしまうのは事実だと思います。私も分かります。青年会の会長始め役員、そして神社の役員になれば物心共に大きな負担が生じます。
なので、ここ数年、私の活動としてはどれだけ地域の方々にこれ以上の負担をかけないように祭礼が行えるかをテーマに活動してきました。特に神社の役員さんは年末年始なども様々な行事で奉仕して下さいます。
しかし、今の世の中の生活様式は大分変わりました。核家族化、一人暮らし、地域行事への参加率の減少、昔のような当たり前の気持ちで行っていると難しい面も多々生まれてきます。祭礼を残すのにどのようなことが出来るだろうか?いつでも試行錯誤です。
ただ、これだけは言えます。地域参加型の祭礼に最も必要な事です。それは
神人和楽
これの気持ちが薄れると祭礼の維持は難しくなってくると思います。
十人いれば意見は違います。お祭りは好きな人、嫌いな人、信仰の篤い人、そもそも神社が嫌いな人。そのような方々が氏子中となり一体となって祭礼を奉仕するわけです。
僕も色んな意見を頂きます。何度も打ち抜かれた経験があります。それでも祭礼は地域にとって必要なものだと思っています。僕は祭礼を行うことによって地域に様々な効果が生まれてきたのも見てきました。
特に過去、お祭りが出来なかった、出来なくなってしまった地域では、祭礼に参加するようになってコミュニケーションが生まれ地域の活性化にも繋がっています。
とは言っても時代の流れもあるわけです。コメント欄の意見に真摯に耳を傾けて何がこの守谷の地域にとって良いのだろうかと悩んでいきたいと思います。
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