気持ちは変わらない
私は宮司になって良かったとは今でも思っていない。神社に宮司がいて良かったと思ってもらえる様な存在になりたいとは思っている。
と言う言葉で締めくくった宮司になるまでの話し。
この気持ちは12年経っていても変わる事はない。むしろ、実際に宮司に就任し、その責任の大きさに心身を摩耗する比率は大きい。物事を進めるには決断が必要だが、決断の裏側にはそこに導かれるまでの躊躇が数え切れないほど存在するわけだ。
私はこのブログを始めるときに「Trial&Error」と名付けた。日本語で言えば試行錯誤。思えばこの繰り返しだ。宮司に就任してからの12年はそれ以前より温めてきた計画をどのように進めていくか?にシフトしていった。誤解していただきたくないのは、宮司になるまでの8年間はどうやったら宮司になれるのか?ではなくどうやったら責任を持って宮司の職務を全うできるか?の話しだ。なので、責任を全うできないのであれば宮司の地位に固執するつもりはない。これは変わらない。だから「私は宮司になって良かったとは今でも思っていない。神社に宮司がいて良かったと思ってもらえる様な存在になりたいとは思っている。
」なんだ。いま、この若い宮司を後押ししてくれる方々が大勢いる。有り難い。
私はずっと自分に何かを課しながら生きている。そうじゃないと前に進めない怠け者だからだ。一つ終わればまた次の目標を決めている。同業者に言われたことがある。下村さんのスピード感ははやすぎですよってね。でもね、目標、短期的な目標、長期的な目標。これがないと前が向けない。私は人生を数える単位を何年とは数えない。常に何回と数えるようにしている。例えば残りの人生を20年とする。祇園祭を奉仕できる人生を20年と数えると長く感じるが20回と数えるとそれだけかと感じる。出来ることなんて限られてくる。そうすれば来年考えようなんて言っていられなくなるんだ。走れ、走れ、時は短い。
そのような思考の中、有り難いことに協力的な総代と地域の氏子に支えられ私は無理だよと呼ばれた幾つかの目標を進められることが出来た。
無理だと言われるものを進めるときには必ず意見は分かれる。成功すれば意志が強い人、失敗すればワガママな人。そのように呼ばれるかもしれないことを心で受け止め、言葉を世間に向けて発するのは相当な覚悟に同居するストレスと共に世間には凜とした顔で進めていくんだ。不安はポケットにしまえば良い。
だれもやったことのないような事をやろうとしたときにアドバイスしてくれる人なんていない。いや、アドバイスをしてくれるけれど、それは経験から来たものではない。だれもやったことがないのだから。そこで進もうとする人と止まろうとする人に分かれてしまう。これは至極当然なこと。
大切なのは意思統一。私はこの12年間で一番大切にしてきたことだ。進もうとしているときに止まろうとする人と話すと相違が生まれる。止まろうとしているときに走ろうとする人と話すと相違が生まれる。その相違を受け止めるのも宮司の大切な仕事だ。相違を軋轢にしてしまってはならない。理解に…これが難しい。
私が宮司になってから。
そう言えば、宮司になる前もだけれども、なってからの方も色々あったんだ。それらも大切にしてあげよう。大切にする、それは文章として記録に残してあげること。子供の写真をアルバムにするように。そして、読み返そう。いつか将来のアドバイスになるかもしれない。そしてこの記録が同じ志をもつ者に有意義な情報になるならば。
私は何かに失敗したときに必ずこの言葉を失敗した出来事の接続詞に使っている。
それでも
この言葉を最後につけるだけで前向きになれる私だけの魔法の言葉だ。
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