最近、神社を巡り始めたのは前述の通り。
お参りする神社は自分の中でテーマを決めて行っているわけです。数年先の八坂神社を見通しながらどのようにすれば良いだろうかと言わば資料集めみたいなものです。私みたいに社家じゃないものは神社にとって当たり前の知識が不足している訳でそれを補うための神社巡りです。社家じゃないのは不利なことばかりでもなく、自分で言うのも何なんですが、ちょっと社家の方々とは神社をみる視点が違う事もあるようです。それは自分にとって大きな武器なのかなと思うこともあります。まぁ見聞して「学ぶ」こと。それにつきます。
私を指導して下さった宮司さんは地鎮祭の車の中で良く私にこう言っていました。
「下村君、学ぶってことは真似ぶってことなんだよ。最初は真似でいいんだよ。」
とね。
ごもっともだと思います。ただ、自分の中では真似って100%でやっちゃまずいだろ?って意識が必ずありまして。よその神社で良いなと思っている事がすべて自分の神社に当てはまるとは限らない。そこら辺の意識をもって様々な神社を巡り、様々な本を読み、神社に関係の無い情報を神社に当てはめたりして色んな知識をはめ込んでそのうち数%かな形になるのは。ほぼほぼボツになって頭の片隅に仕舞っておきます。ただ、それも年が過ぎると熟成されてポンと出てくるときがあるから学びって大切です。無駄なことなんてありゃしない。
さて、20年も脱サラして神社一本でやっているといつの間にか僕より若い子がどうやって神社に参拝者を増やしていったか気になるらしく、勉強させてほしいと来るわけです。私は一生賢明頑張ろうって子には隠さずに教えてあげます。この業界は時に飯の種を教えるのを嫌がる方もいらっしゃいますが(自分の経験上ね)教えたところでそれが持って帰って奉務神社に役立つかは別ですからね。
ただ、僕は厳しいです。
君はどうやってるの?って聞いてちょっと意識低いんじゃないの?って思ってら結構言います。同業者には容赦ないです。宗教法人って名前で甘えてる若い神職が結構いますからね。同業者にはハッキリ言いますのでたぶん僕は嫌われています。それでも理解ある仲間はついてきてくれます。そんな仲間はいまでも飲み友達だったりします。
1回、全部下村君の真似させてもらうよって言われて結構説教しましたよね。考える事が大切なんだよってね。自分の神社の特性を理解し、地域性を把握し、地域の方々の信頼があって神社は大きくするための方法がぼんやりと浮かんでくるわけだからね。ぼんやりしてきたものをどうやって形にするかは宮司の腕の見せ所ってところだろうか?
俺、まだ本気出してないからって言っているヤツに限っていつまで経ってもやらないものです。
思ったら行動できるかが大切。
でもね、こんなことを偉そうに言っていますが、ただ一つ、どうしても気に入ったお守りがあってどうしても当社でも置きたくなってね。宮司さんにこう言いました。
「宮司さん、このお守りパクらせて下さい」
ってね(笑)で、快くOKをいただいておきましたよ。カエルさんのお守りを…
何年か前に置くようにした蘇民札なんかも結構まわったな。有名なのは京都のちまきだったり、伊勢地方の注連縄だったり。実際に見学に行ったり授与してもらいに行ったりして。そんな時間も楽しく消化できるメンタルがあれば自ずと神社の運営はひらけてくるもんだよ。あとはすぐに結果を求めない忍耐だね。信仰は育てるものだから。
さて、これからも勉強勉強だね。数年後の八坂神社をお楽しみに。
この記事へのコメントはありません。