私はこの仕事をする前までは人前で挨拶をするという経験がありませんでした。
元来、私は人見知りであがり症なのです。今でも挨拶するときには一呼吸入れて自分に大丈夫だと言い聞かせています。
20代の頃、人前で挨拶する機会が増えてきました。今でも覚えています。当時の総代に突然ホテルに呼ばれました。それは老人会の集まりでした。前に座らされた私はいきなりです、事前通告無しです。では挨拶をもらいますと皆さんに向けてと言われました。頭は真っ白です。何にも言われてないんですから。呼ばれて行ったらいきなり挨拶しろです。これは参りましたね。
それ以来、挨拶はトラウマになりました。挨拶があるだろうと思われる前日は眠れなくなりました。
昔は会議の冒頭で挨拶があるとなると文章にしました。それをプリントアウトし何度も頭にたたき込む。でも結局はダメなんですよ。その文章は暗記であって自分の言葉ではありません。いざ挨拶をすると頭から飛んで真っ白になる。で、恥ずかし思いをするわけです。結局、挨拶上手な方は経験や積み重ねなんだろうと思いました。今、守谷市議会選挙が始まりましたが、やっぱり皆さんは話しが上手ですからね。
ですが、挨拶に慣れてくると皆さんに対して良いことを言わなければと思い始めるんです。神職はそうあるべきみたいな勘違いですね。大きな勘違いです。これがダメなんですよ。で、自分では良いことを言ったつもりになって着席するとコソッと言われるんです。何言ってるか分からないとかもう少し年配者に寄り添った挨拶の方が良いよとかね。
自信をつけようとしてきた結果、自分を過信してしまった良い例です。
挨拶ってヤツには今でも頭を悩ませています。しかし、20年やってくると経験なんでしょうね。少しずつですが頭で考えずに場面場面で言葉が出るようになってきました。いまでは文章など作っていませんし前の晩に眠れない事なんて無くなりましたね(笑)心がけているのは、えー、とかあのー、とか極力言わないことでしょうか。先生業と呼ばれる仕事です。しっかり場面に対応できるように今でもつとめています。
で、今はこう思っています。
自信は経験から。過信は自惚れから。
自信を持つことは大切ですが過信をしてはいけません。
自信と過信は心の中の紙一重ですから。
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