皆さん何からの目標を持って生きていると思います。また、希望も持っていると思います。
僕だってそうです。仕事をする上で目標は必要なものです。希望もあります。ただ、このように使い分けています。その前に両語の意味を調べてみると、
【目標】
目じるし。「目的地に達する道筋にこれと言って―になるものがない」。転じて、射撃・視線・行動などの対象となる、めあて。ねらい。まと。
【希望】
未来に望みをかけること。
こうなればよい、なってほしいと願うこと。また、その事柄の内容。
望みどおりになるだろうというよい見通し。
と出ます。
いつも僕は希望をもって仕事をしています。将来、神社がこうなったら良いな、お祭りがこうなればいいな、様々な妄想をしながら仕事をしています。思うことは自由です。なので常に妄想しています。設備が整って、駐車場が沢山あって、縁日が行われて、多くの方にお参りいただいて……
希望は無限です。思うのは自由です。
然し目標は違います。
希望を目標に置き換えた時点で有限のものになります。物事を進めようとするならば、何時までに目標を達成させるのかリミットを決めなければいけません。そして、決められたリミットに向けて進まなきゃなりません。
なにを、いつまでに、どうやって
この有限のなかで様々な手段を使って達成に向けて進まなければなりません。ここからが大変です。一心に目的に進む者は勢いもありますが、時として周りが見えなくなる事もあります。そして必ずと言って困難が生まれます。それは様々な要因を経て表に出てきます。若さ、実力不足、人間性、性格の不一致。それらは、軋轢や摩擦を生み、時として不協和音や確執となって襲いかかってきます。しかし、物事をなんでも順調に進められる人間などいません。起きるのが当たり前なんです。
いま、僕は目標を持って物事を進める際に、自分にこのように言い聞かせています。
同じ目標を持っている者に反対意見はない。それは条件付き賛成である
と
反対には必ず理由があるわけで、それをクリアすればいい。だから意見を言ってくれる方々って貴重な意見なんですよ。山登りの方法が違うだけで目標は一緒。そう思えば良いだけです。乗り越えれば同じ目標を分かち合える。もし、理由もなく反対しているのはただ単に僕を嫌いなだけ。そうなれば一緒に仕事は出来ないなぁ。
希望は夢。目標は現実。
大勢を動かすような大きな目標を達成するには、ちょっと青臭い言葉だけれど人を動かす情熱が必要だと思うんだ。そして大勢の方々と話す。伝える。それを一番感じたのは祇園祭の文化財指定活動かな?もう、自分の人生の中であれ以上の仕事はもう出来ないと思うな。きっと死ぬときにも思い出すだろうね。自分の中で40歳くらいまでにやろうと決めていた。そのために10年を過ごしたと言っても過言じゃない。色んな人とも話したし、お酒も飲んだし、苦い思いもしたし、苦しい思いもしたし、そして大いに喜ぶことも出来た。それも一人じゃなく大勢でね。
希望が膨らむほど目標は高くなる。厳しい現実が待ち受けるけどそれを越えるのがやりがいだと思うんだ。
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