人生はTrial&Error。試行錯誤だ。
あとがき
今まで何度聞かれただろうか?
私の子を神職にしてもらえないか?
宮司になる方法を教えて下さい
神主って楽な仕事ですよね
税金払ってないんでしょ?
誰でもなれるんだね
一般人が神職となり宮司になる。どうやら簡単になれて楽な職業のようなイメージがあるようだ。今まで人には話してこなかったけれど、今回はこのような形で自分の話を綴ってみた。私の話が特殊なだけで他の方々が一般人から神職、そして宮司になったときに同じ事が起きるとは限らない。でも、職業として食べていこうとして宮司を勤めようとすれば同様のケースは大いにあると思う。昔ながらの宗教法人で無人の所に宮司に就任するには氏子に理解してもらわなきゃならないことが沢山ある。私の周りには応援してくれる人が沢山いた。でも、それは神職が神社に神明に奉仕している姿を見てもらい認めてもらうことが大前提である。
今回、このブログを読んで大勢の方々から感想を頂いた。
共感します、
ご苦労されてるんですね、
こんな内容読みたくない、
そこまで書かなくても、
心が病んでる、
最初にも書いてあるけど自分への記録だから別に何を言われても平気。ただブログを書いて思ったのは共感する、応援する等の意見は直接言ってもらえるんだ。誹謗、抽象的なものは書込。匿名でネットの中でものを言う方々、その言葉で傷つく人は沢山いると思うよ。個人的な記録なので色んな意見は心の大きなところの隅に置かせて頂いて今まで通りにやっていこうかな。同業者が大勢読んでいるらしいけど。まぁ同業者にどう思われても構わない。べつに友達じゃないし。業界を良くしていこうとする志が一緒ならともに歩めるけれど、嫉妬や妬みで言の葉を出す連中とは語り合えない。成功の裏にはそれ以上の失敗が間違いなくある。良いところだけしか見ないで羨む連中とは話しにならない。下村君の神社は場所が良いからね〜……聞き飽きた。神社は場所じゃないよ。
最後に私が20年、一般人としてこの業界に身を投じて感じたことを率直に記しておきたい。同業者の方、怒るなよ。
良く神職になりたいと聞かれるけれど、神職になるのは難しくない。國學院大学や皇學館大学に入学すれば資格は取れるんだから。あとは宮司の推薦とか。ただ、推薦なんて簡単にもらえないから誰かに推薦してもらおうなんて考えは止めた方が良い。推薦のされ方を教えてなんて聞かれるけど基本的に推薦なんてしない。宮司が推薦するのは大抵が身内だけだろう。運良く神職の資格が取れたとする。神職は資格業だから資格さえ取れば誰でもなれる。ただ、宮司は役職だから別物だ。簡単に宮司になろうなんて思っちゃ行けない。良く神社って楽そうな仕事だねと揶揄あれることがあるけれどそんな仕事はない。田舎の宮司は激務である。責任も重い。休みなどない。一般人から宮司になった私が言うんだから間違いない。
あと、この業界は村社会だ。大辞林では村社会を閉鎖的で因習にとらわれた社会を村にたとえて言った語、と説明している。社家と呼ばれる方々が多くを占めているこの業界は、宮司同士が親戚であったり、神職同士が先輩後輩であったりがほとんど、そして家柄ってのもあって、私みたいに全くの無関係者がなんの伝もなく業界に入ると大変だと思いますよ。初対面の私をアレ呼ばわりして仕事をさせようとしたあの方とはいまでも仕事をしようとは思いません。お互いがお互いを尊重できないようなら良い仕事は出来ないからね。色々あったけど私の場合は鈍感力が良かったのかな?この世界は私の感覚では仕事しにくそうな生きにくそうな世界だなと感じてしまう。発言もしにくそうでさ。でも、伝統文化を守るにはこのような世界が必要なんだろうとも思っている。私が特殊なだけであって、もし私の子供や孫が神職になるとすれば同じようになるんだろう。その頃にはお前のご先祖様(私の事ね)変わり者だったからなぁなんて言われているかもしれない(笑)
この業界は今、危機的な状況を迎えていると思う。核家族化、氏子離れ、過疎化。様々な問題があって将来が不安視されていると思う。祭礼も行うことが難しくなってきているし、資金難の神社では境内地をマンションにしてしまったところもある。守谷、取手でも社家の方が辞めてしまったケースもある。神職数、と言うより宮司数が絶対的に足りていない。そんな中で神社を巡る殺伐としたニュースも流れてくる。だから、社家ではない方が神職となり、食べていけない覚悟をもっているならば地域の宮司になる仕組みみたいなものがあれば良いとは思う。でも、天下りのように無人の神社に縁もゆかりも無い人が宮司になるからと言ったところで、地域の方々の理解は得られないだろうと思う。それまで氏子が守ってきたものを宮司が管理するんだよとなったらもめるだろうね。神社は法人、会社と変わりませんよ、自営業じゃありませんよ、法律を守って運営しないと宮司が責任問われますよと話したところで…有人の神社が無人の神社になるのはあっけないけれど、無人が有人になるって本当に簡単じゃない。それまでは氏子さんが必死に守ってきたんだから。
この仕事は食べていくのが前提の仕事じゃないと思っている。兼職の宮司もいて本当に大変だと思う。休みはないし。色んな方々が色んな状況で色んな立場で奉仕するから意見の統一なんて難しい。私の場合は入り口がこれで食べていきたいだった。推薦してくれた宮司さんは兼職でそんなの無理だよ言っていた。私は厚生年金、社会保険、しっかりと労働者として働きたかった。宮司さんは自営業のように働けばと言っていた。この業界の仕組みはしきたりと言う名のもとで考え方の相違に根深いものが多々ある。ただ、この時代は宗教法人だから許されるなんてものはなく、法律を遵守して運営する。それをしなければ結果的に信頼を失うことになると思うんだよね。
私が神職になるとき、最初のアウェイ感は今でも忘れられない。でも、年月が流れ、氏子の支えと理解もあり、私は宮司と生業として今を生きている。これまで無能な宮司を支えて下さった氏子崇敬者の皆様に感謝である。また、この仕事は家族の大いなる理解もなければとてもじゃないけれど勤められない。ほぼ、育児放棄状態だった私を支えてくれた妻にも感謝。正月やお祭りの時に子供の面倒を見てくれた父母にも感謝。幼稚園の運動会や参観にまともにいけなかった子供達にごめんなさい。
最後にひとこと
私は宮司になって良かったとは今でも思っていない。神社に宮司がいて良かったと思ってもらえる様な存在になりたいとは思っている。
人生はTrial&Error。試行錯誤だ。晩年に満足な表情で沈む夕陽を眺められるようこれからも励みたい。
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