お祭りの運営が厳しい時代
この時代、規模の大きなお祭りを行うのが厳しくなっている。様々な面に於いてだ。人、もの、金、全てに於いて昔ながらのやり方が難しくなってきておりどの神社も四苦八苦しているのは事実である。
私自身、この仕事を始めたときに自分の神社のお祭りも厳しい現実を知った。よそを知らない私にとっては自分の神社が縮小傾向にあるのを寂しく思い、反面、他地区の祇園祭が盛大に行われているのをみて歯がゆく感じていたのを覚えている。ただそれは間違いだった。どこも大きな課題があって難しい問題を抱えていた。人の所がよく見えてしまうのはやはりその地域のご苦労を理解していないからだろう。入ってみて聞いてみて初めてそうなんだと気がつくことがある。
近年、お祭りのシステムが変わりつつある。氏子ではなく実行委員会になったり運営費を参加費に変えたりと様々な方法で維持に努めようとしている神社があるとこも知っている。その地域の考え方など様々な環境があるのでそれはそれで将来に向けての決断なので私はどうこう言う立場ではない。
私はどうすれば自分の神社のお祭りがTX開発で氏子が少なくなるなか維持できるかをずっと考え続けてきた。そして出た答えが時代と逆行してお祭りの原点に戻ろうというものだった。より神社が主体のお祭りに。
当時、無人の神社だった八坂神社は祇園祭という名前さえ知らない氏子が多かった。私自身そう。八坂の祭りとだけしか知らなかったんじゃないかな?そして何のためにお祭りをしているのか分からない。みんな五穀豊穣。いや、そうじゃない。目的はそこじゃない。
あ、みんなお祭りって何でやっているんだか知らないんだ…
今思い返せばそこが原点だろうな。氏子教化から始めよう。それから私は神事を増やすことを考えた。ただ御神輿を出せば良いってもんじゃない。神様が氏子地域を回るわけである。全ての地区で祝詞を上げるようにしよう。
御神輿に御霊代を遷す時には消灯しよう。総代しか参加しない神事も増やした。
その他、宮出し、宮入り、神輿が境内に戻ってきたら幕で隠すようにもした。
山車も出発時には安全祈願をするようになった。
もちろん文句も出た。今までやったことのないことするな、とか、時間がかかるからやめろとか。お祭りの最中に怒鳴られたこともあった。でも決してひかなかったし謝りもしなかった。謝ったら非を認めることなる。私はお祭りを再興させるには原点に戻るこれが必須と考えたからだ。私は言われる度に何度も必要性を説いた。今ではそれが当たり前になった。氏子の理解に感謝したい。
無人の神社だった私の神社は沢山の伸び代があると思っていた。宮司の立場で出来ること。氏子が行う領域は守らなきゃならない。でも宮司として神事とはこう言うものだと指導は出来る。お祭りの維持には先ずは氏子が神事を神事として捉えて奉仕する環境を作ることが必須と考えた。
仕上げは文化財の指定だ。神事を神事として行えるようになったらタイミングを計りながら無形民俗文化財の指定を申請しよう、ずっと考えていた。祇園祭が神事としての形をしっかり形成できたら申請しようと。文化財にして氏子が祇園祭と地域に誇りを持てるように。
いつも言っているが祭はイベントではない。私の祇園祭改革の原点はそこからだった。氏子が自分達は何でお祭りをするのか理解しながら奉仕する環境作り。後はうちの素晴らしい総代さん達が積極的に氏子教化に務めてくれた。有り難かった。
おかげさまでこの厳しい時代に守谷の祇園祭は課題はあるものの、以前に増して盛大に行われるようになった。
ある日、総代さんがいらっしゃって
前置きが長くなったけど、当社の祇園祭に興味を持たある神社の総代さんが
わざわざお越しになりアドバイスを受けたいとのことだった。
続く
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