氏子さんの成果
平成27年に八坂神社は守谷市に祇園祭を無形民俗文化財に指定して頂くように申請しました。そこまでの道のりは多くの方々からの応援があってのことでした。
言い出しっぺは私です。
それは間違いありません。このタイミングでしか事業は成就出来ないと思ったある日、私は氏子の代表の家に伺い、今後の八坂神社の活動として祇園祭文化財指定の活動を行いたいと申し出ました。総代長さんは素晴らしいことだと頑張ろうと言って下さいました。
「頑張ろう」
これが大切なんです。みんなでこの事業をやろう。そう思いましたし、そうでなければならない。氏子みんなで。すぐに総代会でその旨を話し、全体会議で氏子に周知しました。本当に色々困難なこともありました。お祭り全体を文化財にすることは過去前例がないことだったらしいんです。お祭りの中の行事が文化財になるのは多くあるらしいんです。お囃子とか神楽とか。ただ、私はそこは譲れなかった。祇園祭をパッケージとして文化財に。これは譲れなかった。でないと氏子みんなが喜びを共有できないと思ったからです。でも困難がある度に沢山の人が助けてくれました。氏子さん総出で資料を集めてくれました。私は助けてくれる方々が作ったレールの上を進むような日々でした。困ったことがあれば必ず助けてくれる人が現れました。年配の方々が本気になったときのパワーは正直すごいなと思いました。
文化財指定事業の目的は氏子の皆さんが誇りを持って祇園祭が出来るように願いを込めました。現実的な話をしてしまいますが、お祭りはお金と気持ちがあって初めて出来ます。お金があってもやる気がなければ出来ませんし、やる気はあってもお金がなければなかなか難しい。文化財事業はそのうちの気持ちを将来に向けて育めるようにと願い行いました。先人が守ってきた伝統文化を町の宝と認められたら氏子にとってこんな喜びはないんじゃないかと。
人が守谷の文化財として認められた
私はそう思っています。氏子の一人一人が町の宝物になったんです。こんなに嬉しいことはない。客観的に認められた。指定の連絡が来たときは本当にうれしかったなぁ。人生でこんなに嬉しいことはそうそうない。文化財指定の時の話はまた長々と綴りたいです。
政教分離
皆さんご存じの通り、行政には政教分離があります。神社も宗教法人になりますので行政は一宗教法人の宗教活動を告知や支援することは出来ません。長年、広報を見てきましたが、八坂神社の祇園祭が広報を飾ることはありませんでした。守谷市で一番と言っても良いくらいの行事ですが。でもそれは仕方がありません。政教分離ですから。ただ、一抹の寂しさはありました。それは氏子さんも同じです。
ですが、文化財指定により大きく変わりました。祇園祭に関しては市の文化財になったので、そのアプローチで掲載してもらえる様になりました。今年もこのように取り扱ってもらっています。祇園祭は守谷市の財産となりました。
広報をながめる総代さんはどこか嬉しそうだった。
この文化財指定が守谷市の観光事業の一助になるならこれほど嬉しいことはない。祭が盛大になることは氏子の喜びだと思っている。勿論大変なことも増えるとは思うけれど、このご時世に祭が縮小傾向にある中で大きくなっていくことは稀なことだ。
私の仕事は祇園祭を将来世代に残すために、今を一緒に生きる者達と祇園祭を守ること
中今を生きる。先人から受け継いだものを、今を生きる私達が、将来の世代へバトンタッチすること
どうせバトンタッチするなら立派なものを渡したい。この時代に縁があって宮司にさせてもらって一番有り難かったことは、このような仕事の先頭に立てることかな。いつも言っているけど守谷のお祭りが一番好きな人は僕なんですよ。まぁみんな言ってるでしょうがね。
最後に宮司のインタビューもちょこっとあります。すまし顔ですね(笑)
祇園祭の守谷市無形民俗文化財指定、これほど嬉しいことはない。
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