ここで立ち止まりたく
私の神職人生も20年になろうとしています。25歳で資格をとって何時の間にか44歳です。正直、ここまで出来るとは思っていませんでした。振りかえれば、宮司になるまでの8年間よりも宮司になってからの10年の方が色んなことがあった気がします。
宮司になるときに、私は神職人生の計画表をたてていました。今それを忠実に実行しています。祇園祭の無形民俗文化財もその一つでした。お祭りを将来に紡ぐために。どのタイミングやれば良いのか?このタイミングか?何とか40歳までにはと思っていました。無事に指定されて良かったです。宮司になってからの10年間は氏子さん達とのお付きあいの密度もさらに濃くなり、私の人生にとって本当に有意義なものになったと思っています。
おかげさまで祇園祭の規模も大きくなりました。下火だったお祭りが今では駅前開発で氏子が大勢立ち退いた時よりも盛大に行えるようになりました。これも氏子の皆さんの支え合ってです。
ここ数年、祇園祭の改革に文化財指定、震災復興、神輿修繕と大きな事業が立て続けにあり、それらが全て無事に終わりそうです。その感謝の意味を込めてというわけではないんですが、氏子さんを連れて8月8日〜10日にかけて奈良伊勢旅行に行こうと思っています。昨年の夏から温めていた計画です。お世話になった皆さんをエスコートして楽しんでもらいたい。その一心です。そしてこれが終わったら私は少しお休みをもらおうと思っています。
私は8月10日で
おかげさまで20年近く、神職、宮司として私なりに無知なかで職務が全うできたかなと思っています。これも皆様の応援があってのことです。本当にそう思っています。
ただ、これまでを振り返ったときに私の神職としてのスキルはこのままで良いのだろうかと考えていました。私は神職養成講習会というもので資格を拝受いたしました。それは自動車免許の合宿みたいなもんで資格はいただけますがじゃぁ頑張れよみたいなもんで。あの時、資格をとって、もう現場にいましたから何が何だか。國學院大学で4年通えば、学生の間に様々な事を学べて色んな神社に助勤に行けて色んな経験が出来たでしょうが私にはそれがありません。今思い返してみても生きることに精一杯だった気がします。
村の鎮守様で神職として食べていくことは容易ではありません。私の入り口はそこからでした。ブログでも何度か話題にしましたが、私達の仕事は聖(聖職者)と俗(経営者)な面があります。最初の私はきっと俗な面を一生懸命勉強していたと思います。勿論、聖職者としての勉強もしていましたが独学に近いものだったのかもしれません。今思い返せば当時はあまり寝ていませんでしたね。…それは今も変わらないか。
私は8月10日で一旦自分の歩みを止めたいと思っています。歩み…ダッシュか?ダッシュだな。走りすぎたので少し休憩を頂きたいと思っています。神職人生も前半戦が終わりました。後半戦に備えるために数年間体力作りをしたいと思っています。50歳位まで勉強に励みたいと思っています。研修に行こうとも思っています。学校に通っても良いかなと思っています。神職人生の後半戦も全うできるように精進するための時間をもらいたいと思っています。若さで隠れていた不甲斐なさが歳を取ると隠せないことだってあるでしょう。私は聖と俗、両面をしっかり学んで職務を全うしたい。そう思うようになってきました。神職としてもう一度勉強し直したい。
50歳になったときに何をするかもうビジョンは持っています。それも氏子さんに喜んでもらえる様なものにしたいですね。では、残り1ヶ月頑張ります。
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