後任宮司を決めるとき
あの時のことを振り返ってみよう。変な比喩も無く濁すことも無く。淡々と書きたい。こんなことがあったんだと。今回の記事のタイトル通り、私は私の自己主張故にこの日を迎えたのだと思う。ただ、私は神職とであると同時に家族を食べさせなければならないし、一労働者なのである。皆さんが宮司、神職にどのようなイメージがあるか分からないが私も日本で暮らし日本の法律で決められたなかで働かなければならない国民なんだ。その点だけはご理解を頂き読んでもらいたい。
振り返れば人生でこんな緊張感は味わったことはない。あの頃の経験は今の私の礎になっている。今、なにがあったとしてもあの頃を思えばってなる。そうすれば、全てのことが前を向いて進める。
私が過ごした8年間の結論を出る。大きく息を吸い込んで家の扉を開けた会議に向かう。
関係者が一堂に会した。宮司が管理する地区の神社に関係のある宮司が集まり、それに親族も加わって話し合いとなった。私も呼ばれた。私はもう自分が成すことは終わっていたので後はこの会議をしっかり乗り切って次に進まなければならないと思っていた。このような会議で自分の意見を自分の意見として言えるのは初めてだったかもしれないな。これまでは自分の意見は自分の意見でなかったので。言い回しが少し難しいかもしれないけれど、それを経験した者しか分からないかもな。
そして始まった
挨拶も早々に終わり本題に入る。私の中では、どのような流れになるのかはもう分かっていた。宮司が危篤の時にある人物に呼ばれた。その部屋で私はあることを告げられた。
私なら知っていても絶対に言わない。言ってしまえば対処が出来てしまうからだ。法律で論破されてしまうことを。もし、この席でいきなりその遺言書(実際は違ったけれど)と言われるものを出されていたら私も驚いて何も出来なかったかもしれない。でも、あらかじめ知っていると分かってしまうんだ。それはNGだよと。無効なんですよと。宮司は責任役員の判子と氏子の総意で推されるものなんだよと。
親族の方から印刷物が手渡される。
「宮司が残したものです。このようにお願いできませんか?」
それは遺言書では無く、希望と書かれた走り書きだった。亡くなる1ヶ月前に書かれていたものだ。私は親族の方々がこのような意向を尊重してもらいたいというのは十二分に理解している。だって何十年も守ってきたものだから。でも、思い込みかもしれないが、私も今までの事…神職になった経緯、これまでの約束、8年間に守谷で活動してきたなかでの責任、兼務神社の氏子さんの宮司就任要請、そして、余り使いたくない言葉だが私なりにほんの少しの自負もあった。ここはご理解を頂かねばと考えていた。
しかし、まぁ、すっかり、嫌われたんだな
その紙には守谷地区の後任宮司の事だけ記されていた。守谷だけ。他の地区のことは無い。
あぁ、私には本当にやらせたくなかったんだな…
そのほとんどは私では無い方の名前が書かれていた。このような結論に至ったのは私の不徳のいたすところ。意志が強い人とワガママな人は表裏一体。どのように人から感じられるかはその人の行いや言動、そしてそれまでの結果などで見方が決まるのは世の常だ。宮司からみた私はダメだったんだろう。意にそぐわなかったんだろう。そのような現状があるのは大いに私の責任だ。ただ、私も食べて行かねばならない。その上で責任を負わねばならない。認識が違ったのはやっぱり神社は会社では無いんだな。でも法律ではほとんど会社のように責任を負わされる。持ち分という概念が無いくらいか。今でも思う。あの頃に神社を職業として成り立たせるためには、今までの事は必要な事だったんだと。もし、あの時にしっかり神社の運営や経営の話を将来を見定めて方向を決めていなければ、きっと私は神職を辞めて別の職業に就いていただろう。実際に辞表も出していたし。
でも、私も生身の人間だ。実際にこのようなものが出されると心がつらい。心臓が痛い。
ある宮司がこのように話す。
「神社を管理することは大変なこと。私も何社か預かっているが大変な思いをしながらやっている。果たしてこれだけ多くの神社を一人で担うのは負担じゃ無かろうか?ならば、守谷に若い神職も育ってきているので任せるのも一つの考えだと思う。」
その方は黙っている。
「下村さんの考えはあるかい?」
私に話が振られる。私はきっと公で初めて自分の考えを述べたと思う。
私「市と言う枠組みで管理させて頂いたら有り難いです。」
ある宮司「どうだろう?このような意見もある。若い神職にまかせたらいいじゃないか?」
ある宮司「奥様の意見も聞いてみよう。どうでしょうか?」
そして、会議の間ずっと黙っていた奥様はこう話を切り出した。
奥様「守谷は守谷の方がやった方が良いと思います。」
そして、同席した親族の方も続く。
「皆さんがどのような思いでご奉仕しているかも存ぜず申し訳ありませんでした。こちらは取り下げます。」
ある宮司「ご親族の方々もこのように言ってるんだから…」
となり話は纏まった。
ある宮司「では、守谷の方は守谷の神職の方々に話をしてもらいましょう。」
守谷市にはもう一人本務の宮司がいた。同席していた守谷の宮司が会議で発言する。
守谷の宮司「私は高齢のため今以上の神社を管理することは難しいので辞退します。」
話は終わった。こうして私が守谷市内の神社を管轄することが神職のなかでで決められた。あくまでもこれは神職内での話であって、宮司は責任役員の承認を得て就任が決められている。まだまだ、終わっていない。次は氏子との話し合いだ。私はホッとすることも無く、次の話し合いに向けて進まねばならない。
しかし、この会議を終えて初めて私は視界が開けた気がした。私は本当に多くの方々に支えられてここまで来た。この日も。この与えられた責任には全力でお返ししなければならない。
そして、私の事を神職にして下さった宮司にやっぱり、下村にやらせて良かったなと思ってもらえる様に頑張ろうと。
そして弱い私はいつも何かをするときに言葉にして氣をためるのです。
まだ終わりじゃない。次の話し合いへ進まなければと。
その帰り際、私はその名前の人にすれ違いざまにこう言われたんだ。
「あまり欲をかくと悪いからな」
私は返答もせず立ち去った。
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