2011年3月11日
あの日、私は守谷市御所ヶ丘という場所で地鎮祭の準備をしていた。確か友引で吉日だったと思う。3時から地鎮祭が始まるのでちょうど準備をしているときだった。
「めまいかな?」
足元がおぼつかない。フラフラする。何だろうと思っていたら激しい揺れに襲われた。目の前の建物に亀裂が入り、遠くの建物の屋根瓦が落ちて煙を出している。電信柱の電線は激しく揺れ、鉄筋作りの自転車置き場は激しい音をたててきしむ。私の車は前後に激しく揺さぶられていた。近くのパチンコ屋から女性の悲鳴が聞こえてきた。
そんな中、私は冷静に空を見上げていた。もちろん、揺れが凄いなぁとは思っていたけれど、すぐに震源は東北じゃないかな?って思っていた。その2日前に東北で地震があったのを覚えていたから。揺れがおさまりすぐにラジオをつける。
アナウンサーが告げる。
「東北地方で震度7です。」
やっぱり…すぐに妻に電話をかける。すると妻が鬼気迫る声で
「神社が壊れてる!」
と言う。
これはマズイ。遠くからサイレンの音も聞こえ始めた。すぐに地鎮祭を中止して神社へ戻る。妻の声を聞いてさすがに焦りを感じた。
車の中で現実に戻る。
「家族は無事だろうか?」
「神社はどうなっているのか?倒れてるんじゃ無いのか?」
「職場がなくなっちゃうんじゃ無いのか?」
「自宅は?住宅ローンまだまだ残っているのに…」
なんてことを考えながら神社へを戻った。
神社の被害
神社がみえてきた。遠目から確認する。建物は倒れていない。んっ?思ったよりは被害は無かったのかな?って思ったのもつかの間で、近くで見ればそれなりに被害は出ていた。妻が言ったのは神社の灯籠が壊れているって事だったらしい
建物は傾き
狛犬はズレて灯籠はひび割れて
被害はもっとあったけれど、後から聞いた話だけれど他の神社の被害はもっとひどいものだった。皆さん、復旧復興は容易ではなかっただろう。
東日本大震災復興事業
震災を機に八坂神社では東日本大震災復興事業が始まった。この事業の規模が大きくなって文化財指定事業と宮神輿総修復事業へと繋がっていく。この話もいつかブログで綴りたい。それほど貴重な体験だった。そして氏子の皆さんと奉賛会の皆さんには本当に感謝しかない。寄付を頂く重み、そして責任、これまで宮司として勤めてきたけれどこれほどのプレッシャーは無かったと思う。神社は寄付で成り立っている。これは神社で勤める以上肝に銘じておかなければならないことだ。
この事業も8年の月日が経ち、予定では8月10日に終わる予定だ。今年の祇園祭もいつもとは違うお祭りになる。見栄えがね。八坂神社はこの8年間で大分整備されたと思う。これも皆さんのご支援のお陰です。この場をかりて御礼を申し上げます。
そして被災地の復興を心よりお祈りいたします。
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