家に帰ってきてから
私の父はJAに勤めていた。そこでは色んな仕事をしていたようで、旅行の引率をしていたようだし、JAが運営する葬儀などの仕事などもしていたと思う。私の住んでいる地区は昔ながらのしきたりがあったりする地域で葬式などでは色々とやらなければならない決まり事などがあったりする。それも現在ではセレモニーホールなどで葬式をすることが増えたので、組合や近所などの仕事は減ったかな?私の祖父と祖母は自宅で昔ながらに葬儀を行ったので当時の私にとっては良い勉強になったものだ。葬儀は悲しんでる暇なんて無いんだなって思った。亡くなった瞬間に部屋の掃除が始まり、組合への連絡、団子をこねたり、半紙を切ったり、通夜は夜通し起きてたりで。でも良い勉強になったのは間違いない。
宮司の自宅から帰ってきてすぐに父親に呼び出された。
父「良弘、お前は宮司の弟子なんだから今から自宅に行って何でも良いのでお手伝いさせて下さって行ってこい。お前は宮司側の人間だ。一般の人と同じようにして参列していたらダメだ。何でも良いからご家族に頼んで葬儀のお手伝いさせてもらってこい」
私「何をすれば良いんだろう?」
父「葬式の段取りとか色々あるだろう。遺族がやらなければならない負担を少しでも減らしてあげるんだ」
私「そうだな。分かった。行ってくるよ」
私は再び宮司宅に向かった。今度は一人でだ。
葬儀の段取り
私は自宅に伺い宮司のご遺族と再び面会した。宮司の奥様とお嬢様二人。私は話を切り出した。
私「宮司さんには大変お世話になりました。何でも良いので葬儀のお手伝いをさせていただけませんか?」
そして私は葬儀の段取りをすることになった。主な仕事は以下のようなもだ。
- 兼務神社役員への連絡
- 葬儀会社との打合せ
- 神葬祭の段取り
- 支部神職との連絡
兼務神社は30社ほどある。その全ての総代長に連絡を入れる。併せて葬儀会社との葬儀の内容について打合せをする。遺族の希望を聞き、それらを支部の神職に確認しその上で葬儀会社と打合せをする。支部神職総出で神葬祭の打合せをした。葬儀内容を確認しその内容を葬儀会社に報告し必要な作業を確認する。注意しなければならないのは一般人の葬儀ではなく神職のそして現職の支部長で神社庁理事の葬儀だ。参列者も県内のそうそうたる神職が来るだろう。不手際があってはならない。私は葬儀まで毎日宮司宅に伺い細かいチェック作業をしていた。そして私は典儀、つまり司会進行を奉仕することになった。
葬儀当日
予想はしていたが会葬者の人数が多い。不手際がないようにと段取りをしているときだった。
支部の神職「誰だ?こんな雅楽の曲を流させてるのは?」
ホールに雅楽が流れている。はっと気がついた。その楽曲はお祝いの曲目を収めたCDだった。こんな曲目を葬儀で流したら大変なことになる。気がついてもらって助かった。セレモニーホール側も神葬祭には慣れていないのが実情だ。本当に宮司に限らず神職の葬儀は気を使う。玉串だって本榊か非榊でえらい違いだ。でもセレモニーホールの葬儀で本榊を用意されることは先ず無いな。とにかく最後まで気が抜けない。葬儀会社、支部神職と打ち合わせして典儀準備をしていると、ある会葬者の宮司さんが俺の席はどこだ?と騒いでる。?案内の神職は配置したじゃない?どうしたの?と思ってみたら談笑してる。もう……内心、自分で座って下さいよ、大体分かるでしょ?って思ったけれどそんなことをいったらもうアウト。すぐに吹っ飛んでいってこちらですと案内した。
そんなこんなで大変だったけれど支部神職総出の神葬祭は何とか無事に終えられたと思う。無事に送り出せたんじゃなかろうか?私も自分なりに仕事は全うできたと思う。葬式が終わった後にご家族から有り難い申し出があったけれどもとてもじゃないけれど私には役不足実力不足なのでお断りした。そしてその話が出たときに現実に戻された。今後のことだ。
さて、これからどうなっちゃうんだろう?
私は私の明日がどうなるか分からない状態になってしまった。もう自分で道を作るしかなくなった。眠れない夜を越えた朝は牛乳を一気に飲む。それで元気になった気がする。それだけで十分だ。
どうなるか分からないが自分のなかには往くべき道がはっきりと見えている。それは右折も左折もない道だ。
私のこの8年間のidentificationでその道を進めるかどうかだ。
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