みんな意見が色々だ
昨年、水戸で神職の集まりがあった。私が椅子に座っていると大先輩の宮司さんがいきなり横に座り肩を叩き話しかけてくる。
偉い宮司さん「下村君、最近は御朱印どう?」
私「もしかしてテレビの騒動見ました?」
偉い宮司さん「見たよ!」
私「お騒がせしてます……」
偉い宮司さん「最近の御朱印をどう思う?金色だのカラフルだのけしからんよな!」
私「私は色々判子を押すのが面倒なんでやってません……」
偉い宮司さん「そういえば、うちにも遠方から御朱印を受けに来る人が多いんだよ……で……」
なんて、会話です。
それぞれの言い分は理解できるんだ
本当に色んな御朱印があるよね。自分で御朱印を書いているとやっぱり御朱印帳と御朱印に目が行っちゃう。普通の御朱印もあれば、独特なフォントにしている御朱印もある。カラフルな御朱印のあれば、イラストみたいな御朱印もある。みんな、何かしらの個性を出そうとしているんだな。その点、うちの御朱印なんかシンプルなもんだ。今はこの2種類です。ひとつは祇園祭の7月限定です。


御朱印の在り方、それは神職によってそれぞれ考え方が違うんだろう。特に神社では職業としてなかなか食べていくことが出来ない。この御朱印ブームに乗ってお参りに来て頂きたい気持ちも十分に理解できる。私はこのブームが神社崇敬の入り口になるならば大いに歓迎すべきだと思うが、反面なかにはスタンプラリー感覚で巡っている方も多いのも事実だ。実際にあった会話だ。
参拝者「守谷の御朱印はここでクリアですか?」
私「クリアって何ですか?」
参拝者「イヤ……」
ってな感じです。御朱印が目的になってしまってお参りいただけない人が多いのは神職として寂しい限りです。
後、個人的なこだわりですが、御朱印は出来るだけ御朱印帳に直接記したい。最近の御朱印帳をみると書き置き、貼り付け、印刷などの御朱印が増えたようにも思います。ブームにあやかりすぎて書けなくなってきたんでしょうね。それでも良いって言うのなら別に余所の事なので構いませんが、私は直接書いてこそってプライドもあるんですよね。今、八坂神社では三人体制で書いてます。お正月や祇園祭の時には大変です。今はすぐに御朱印もSNSでアップされてしまいます。インスタ映えも良いけれど、うちは上手な字ですねって言われるように精進するって言うのが運営方針です。下手ですが…なのでカラフルはやる予定はありません。
神社の崇敬に繋がるかが大切なわけで
今は御朱印ブームです。そう、ブームなんです。定番になれば良いんですが、ブームが去ってしまえば終わりです。流行の後には廃れが必ず来ます。いま御朱印で頑張ろうと思っている神職さんはブームが去ったときにどうするんだろう?御朱印でお参りにいらっしゃった方々をまたお参りに行きたいなと思ってもらえる様な努力も我々には求められているんでしょうね。
私は余所の神社様の御朱印に対するスタンスは全て間違いはないと思っています。色んな考えがあって、普段お参りに来ていただけないような村の鎮守様に人が集まるチャンスと捉えている方もいらっしゃるでしょう。ブームに乗りたいと思った方もいるでしょう。それを見た昔ながらの考えを持った宮司さんが良しとしないのも理解できます。
まぁ、ざっくり言えば余所の神社にいちいち意見を言っていても仕方が無いんですよ。よそはよそ、うちはうち。言い合うだけで不毛な時間です。もし、何かしらのルールでも決めたいならそれこそ神社庁や本庁などでガイドラインでも作るしかないですね。
私は神社は氏子との密接なお付きあいと崇敬者の崇敬の念で護持されていくものと思っています。御朱印も大切な仕事ですが御朱印がメインではありません。八坂神社ではそのスタンスで今後とも頑張ります。
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