突然の連絡
平成18年祇園祭。
祇園祭最終日。当日の朝、突然の連絡だった。宮司がめまいがするというので最終日の奉仕が出来ないという連絡だ。代理の神職はお願いしているとのことだ。
突然、私が神事を取り仕切ることになった。私より若い神職と一緒に。
祇園祭の変わり目
この頃、祇園祭が変わり始めていた。守谷駅前開発の影響で下火だった祇園祭が氏子さんの努力により新たに参加する地区、一度解散して再び参加を希望する地区、神輿同好会の結成など、何か風が吹いているようなそんな感じだった。やっぱり氏子さんのお祭りに対する熱意でしょうね。感動を覚えましたよ。
坂町新町和会
坂町と新町。この地区は長らく山車がなく(大正時代にはあった)青年会などの組織が存在しなかった。地区の若者の熱意により新たに山車を作ることになった。立ち上げるのは大変でしたよね。毎日大人と子供が一緒になって練習してたのを今でも覚えていますよ。
海老原町睦会
この地区は駅前開発で一度解散してしまった。しばらくお祭りに参加できなかったが、駅前開発が一段落し、再び町内組織を作り直し参加したいとの申し出があった。本当に嬉しかったな。
文月祭和会
氏子の有志が万灯神輿の同好会を立ち上げた。初めての事を成し遂げるって言うのは大変だ。苦労したのは容易に想像できますよ。
少しずつ変わり始めた祇園祭。良い方向に進み始めた。この年だったと思う。山車が五台で巡行するようになったのは。私が氏子で最後にお祭りをしたときが三台だからすごいことだよね。止めてしまったものを再び作り上げる事は相当な苦労があるはずです。
宮司代理として
さて、私は最終日のみ祭礼を取り仕切ることになった。『大丈夫。大丈夫。』と自分に言い聞かせながらスケジュールをこなしていく。この頃はまだ神事の数も少なくて過去の経験で十分対応できた。
この年のお祭りは何事もなく無事に終了。神輿を還御し直会の席で
総代「宮司が不在でよくやったな!ご苦労様」
無事に終わった事にホッとしたがそうやって総代さんにご苦労様って言ってもらった方が何よりも嬉しかった。
そして、突然の要請で助勤に来てくれた蛟蝄神社の友野宮司には今でも感謝しています。蛟蝄神社
少し自信がついた。そんな出来事でした。
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