結婚することになって
結婚式。普通なら人生の門出であり一生の思い出として残る行事だろう。私は余り思い出したくない。なので撮影したDVDはまだ一度も見たことがない。妻も良く分かっているので、子供が見たいと言ったときには私がいないときに見せているようだ。
30歳の時、平成17年10月(仏滅)に私達は守谷市役所に届け出を出した。受付は今でもお世話になっている方。これも縁かな。結婚式も披露宴もこの日にやりましたね。大安にやると神職さんに迷惑かけてしまうので。
神職になる前の私は二十代前半の若者らしく結婚式や披露宴なんて勘弁してくれなんて両親に話していましたよ。母親には良く怒られていたっけ。しかし、今は神職だ。やらないわけにはいかないし、むしろ一般の方々以上に細かくやらないと不味いだろうと思って仲人を立てた。もちろん、仲人は宮司にお願いした。何度か断られたけれど宮司さんしかお願いする方がおりませんと最終的にはお引き受けいただいた。
結婚に気持ちが向けられたのもあの話し合いでとりあえずは仕事として頑張れそうな体制に変わることが出来たから。
これがまとまらなければ結婚なんて出来なかったね。家族を養う責任が持てないもの。
数年間、何も変わらない。
私と宮司との関係は変わらずだった。節分や祖父の葬儀以降は手伝いや助勤などに呼ばれなくなった。こちらから「何かお手伝いすることありませんか?」と聞くと「君も忙しくなったからね。」と。仕方が無い。
唯一変わったのは宮司の本務神社の例大祭にはまた助勤で呼ばれるようになったくらいだろうか?八坂神社の夏祭りの時に突然言われた。
宮司「下村君、大祭の助勤を頼みたいんだけれど」
私「よろしくお願いします。」
宮司「ところで、うちの大祭でも君のお祭りのひょっとこを出し物としてお願いしたいんだがどこか頼んでくれないか?」
なるほど、そういうことね。
私「分かりました。頼んでみます。」
後は、今まで書いてきた記事のままだね、
運営方法はかわっても意見の相違は相も変わらずだった。年度末の度に決算報告をしましたが、その度にぶり返される以前の話。私はわがままだったんだろうか?ただ、働ける環境にしたかっただけなんだけど。経営者なら分かってもらえると思うな。
色々なことがあって関係は良好とは言えなかった。(まさか披露宴であんなことになるとはね)
なので、仲人を引き受けていただけてホッとしました。結納も終わり、お互いの主賓もお願いして結婚式に向けて着々と準備が進む。
結婚式は雨だけど…不思議なことに
その日は土砂降りの雨。式場で着替えたら八坂神社に向かう。神社にはご近所さんや友達が待っていてくれた。
不思議なこともあるものだ。バスのなかでは土砂降り。神社に着くと雨は止み、拝殿に上がり結婚式の間はまた雨が降り、帰りに記念撮影になると雨が止む。そしてバスに乗ると雨が降る。おかげさまで濡れることはなかった。天も後押ししてくれたのかな?私達が外に出れば雨が止み、建物に入ると雨が降る。不思議なこともあるもんだ。
神社では賑やかで、田舎らしくおひねりをもらった、母がミカン配ったり、ご近所さんがバンザーイバンザーイなんて言ってたりで。あの神社で結婚式が行われるなんて無かったからね。
結婚式は支部の神職さん挙げてもらったんだけど、式の最中に指輪は三方から落とすは親族固めの杯はグダグダだわで(笑)。これも良い思い出。身内ならではの笑い話で済んでます。
それは披露宴でおきた
神社での結婚式を終えて披露宴会場で着替える。さて、披露宴の始まりだ。妻の披露宴用の衣装は準備の段階よりもブカブカになっていた。準備のストレスで3kgほど痩せていたらしい。私の職業がこれだからね。迷惑かけたと思っている。
披露宴が始まった。
宮司が仲人の挨拶をするときにそれは突然始まった。
宮司「下村君は〜〜〜〜〜で〜〜〜〜で」
途中までは普通だったんだ。それが突然に唐突に話が変わった。
宮司「下村君は我が強く、人の話を聞かない。それは直した方が良い。」
ちょっと待ってくれ。今ここで言うことか?100人を超える招待客の前でディスられる。神職、総代、友人、近所、親戚、家族、大勢の前でディスられる。披露宴のスタートからこれじゃどうやってテンションを保てば良いんか分からない。みんなちょっとひいているのが分かる。その時の私の気持ちは……
「あ〜あ、どうしてくれんだよ」
です。狙って言ったのかな?自然と出てきた言葉なのかな?アドバイスのつもりだったのかな?とにかく私のテンションはだだ下がりだ。まだ始まってすぐなのにね(笑)節分祭の悪夢の再来、いやそれ以上だね。私達のお祝いの席(妻の客人もいるんだぜ)に私との個人的な感情をお祝いに来てくれた方々の前でぶつけてくれたわけだからだ。いや〜どれだけ私のことを思っていてくれたんだか…本当に有り難いですよ。
ね、白い巨塔みたいでしょ(笑)実はこんなことはよくあったんだ。例えばお正月のとき、破魔矢の在庫が出来たときも総代の前で私の責任にするのかと唐突に言われたり。確かに私の管理者だから言い分は分かるけど今ここで?その度に対応に困っていた。そして、最大級の今ここで?がまさかの披露宴だよ。
次に主賓の挨拶を頂いた。私は本当にお世話になっている宮司さんにお願いをしました。
主賓「下村君ももうじき宮司になって地域でますます活躍……」
有り難いスピーチでした。しかし、横で妻の顔が引きつっているのが分かる。理由は分かる。後で話すけれど、この頃には私がすぐにでも宮司になる可能性はほぼゼロ。むしろ就任しない可能性もあった。私にも分かっていた。話が変わっていたのを。ヒリつくような時間がゆっくりと過ぎていく。きっと、そのスピーチを聞いていた仲人の心中は穏やかではなかったんではないかな?
もう、結婚式だ披露宴だとそんな気持ちはぶっ飛んでいた。お色直しの時に妻ととにかく頑張ろうと……
そんなときの同級生は有り難い。余興で私の神社のお囃子を披露してくれた。映像と一緒にね。遠く山形から来ている妻の親族にこんな所なんですよと紹介の意味もあって。
私も参加でね。ただ、唇が乾ききっていてもう音が出なかったな。友人は有り難い。これ以降、友人の披露宴の定番になったんだ。
披露宴が終わって
そうして、披露宴が終わった。涙はない。早く終わってほしい。そればかりだった。
私達は無事?披露宴が終わり、宮司にもお礼を告げ、主賓の皆様、招待客の皆様にお礼を告げて二次会、三次会へと移っていった。その席ではやはり例のスピーチの話が話題になる。
友人「あの仲人の挨拶はないよなー」
友人「あれってマズいよね」
私「色々あってね。」
そして、アパートに帰り眠った。
私は社家じゃない。社家でもない私が宮司になって食べていこうとすると色々なことが起こるんだなと考えさせられる。昔からの仕組みを改めることは難しい。そして村社会であるこの世界に新規参入して働こうとすると別の作用が働くのもよーく分かった。そして、妻も社家ではない。神社に縁もなかった女性だ。今日の披露宴を終えて苦労をかけてしまうなと改めて思ってしまった。
結婚式。普通なら人生の門出であり一生の思い出として残る行事だろう。私は余り思い出したくない。なので撮影したDVDはまだ一度も見たことがない。
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