人間関係は難しい。ちょっとしたことで歪んでしまう。信用を得るにはどれだけお互いが話しをして同じ事を共有できるかで育てて行くものだと思う。でも、そんなこともままならない時もある。これは地域のなかではこういう事もあるんだとあえて記録として残しておきたいと思う。あまり氏子さんとの絡みは話したくないんだが。忘れようにも忘れられない出来事だったので。今振り返れば、私が人として組織の長として成長していく段階では必要なことだったと思っています。
以前もお話ししたように、私は物事を進めていく際には反対意見はないと思っている。反対意見は条件付き賛成なんだと。それを丁寧に聞くことによって相手の気持ちも変わり同じ方向に進んでいくことは多い。そう、みんな山登りの方法が違うだけであって目標は同じ、目指す頂は同じ場所だと思って今でも仕事をしている。
ただ、反対するための反対。それは感情論であって前にはなかなか進まない。お前が嫌いだから反対なんだ。となると物事を進めるのは本当に難しい。そんな話です。
気をつけろ
ある人が役員に就任することになった。その時もすったもんだがあったんだ。ちょうど3年に一度総代の任期が切れる。宮司に指示されて総代就任承諾書に印鑑をもらいに行こうと各総代宅に伺った。ある総代のお宅に伺ったときの話だ。私は退任する希望があるとは知らなかったので現総代の家まで行き家族から色々あってもう辞めさせてほしいとの事情も聞いた。しかし、当時私には何の権限もない。こう答えるしかない。
私「総代は宮司が任命することで私には何も出来ないんです。地区の推薦で決まることなので町内で決めてもらえませんか?」
で、総代が交代することになった。新総代が決まるとその地区の他の役員は全員辞めてしまった。何があったんだろう?と思っていたら父親は私にこう言った。
父「あいつには気をつけろ」
父だけでは無かった。来る人来る人みんな言われる。気をつけろ。ごちゃごちゃにされるぞ。
心にはとめておこう。でもそんなことを言われてもどうすれば良いのか?
トラブルは突然やってくる
ある日、神社を清掃しているとその人からこう声をかけられた。
その人「総代になったから集まりとか研修とか全部出たいから声かけてくれよ」
神社界では総代の集まりだったり研修だったりで水戸に行ったりすることが多いんですね。そうすると割り当てが来る。宮司から八坂神社からは総代何人出すようにと。だからといって全部出たいと言われても他の総代だっているわけだし、全員に平等に声をかけないとそれこそ私の資質が疑われるし。何よりのその人は連れて行ったばっかりだ。みんなから気をつけろと言われているしなんて答えて良いものか?私はその場での答えを濁してしまった…これが後々大変なことになるとは思わなかった。
私は、新しく就任した総代長の元へ行き相談した。
私「宮司さんから県の総代会の出席要請が来ています。○○さんが集まりに全部出席させろと言うんですがどうでしょう?他の総代との不公平感も生じますし……。」
総代長「それはそうだ。順番で回さないと他の総代に影響が出る。前回の出席者を事務局に確認させて私の方から総代に声をかけますから。」
私「宜しくお願いします。」
総代長「何か言われたら私が決めたことだと伝えて下さい。」
私「有り難うございます。」
で、総代長から出席者に連絡が行き、私は車を運転して出席者と一緒に水戸へ向かった。
それから人が変わったように……
それから1ヶ月ほど経ってからだ。秋の総代会が招集された。その時に会ったその人はすっかり人が変わっていた。こちらを睨みつける。私の話を聞こうともしない。
その人「お前はこの間俺を連れて行かなかった。この前連れて行った総代はお前と親戚にあたるやつだ。お前はえこひいきする奴だ。」
もう完全な言いがかりである。その日を境に約5年間。私はどうでも良いトラブルに巻き込まれてしまった。数え上げればきりが無い。
- ものがなくなったら私のせいにされる。
- お祭りの日にお守りを用意しておいたら朝、外に捨てられる
- 頼まれてもいないのにお祓いに来ないと言いがかりを付けられる
- 私を辞めさせようと裏工作をされる
- 神社の榊を無断で採っていく
- 掃除していたらいきなり怒鳴る
さすがにお守りを外にぶん投げたら他の役員ががこんなことする罰当たりは誰だ!って怒っていたらしいですが。
もううんざりして会議なんて嫌で嫌で。で、ここで話が繋がるのが最初のところで、反対するための反対。それは感情論であって前にはなかなか進まない。お前が嫌いだから反対なんだ。となると物事を進めるのは本当に難しい。
例えば、神社に昇降階段がないので設置したいと言えば反対。結局取り付けましたけど。それでいて自己主張は強く、祇園祭をこういう風に変えたいと言えば他の総代から総反対をされてキレたりと……ある会議の後、ノートを忘れていって誰のだろうと覗いたら……いや、本当に人のノートは見るもんじゃないね。世にも恐ろしい……
ただ、トラブルって言うのは私一人だけじゃなく、他の総代ともしていたのでまぁ……本当に何だったのかな。あの5年間は。辞め方も普通ではなかったしね。
これは、あくまでも私サイドからの話であり、相手からすれば全く違う理由や事情があったのかもしれない。それは分からない。分からないが、分からないが組織の中での方法論からすれば私の美学とは相容れない。
人間関係はいつ何時どうなるか分からない。世の中には色んな人がいるんだなぁ……と勉強になりました。そして、その人からは理不尽なことに対する忍耐を学びました。有り難いです。他の総代さんからも言われましたが、そう言う人には理路整然と意見を言えば相手は何も言えなくなるんだよと教えられました。まだ私は若く経験不足で隙があったんでしょう。
皆さんも気をつけてね。
【追記】
こう言う人は私が居なくなると有る事無い事を吹聴し始める。お祭りの時なんかは顕著だった。お守り捨てたりするしね。だから私はその頃、祭礼の日はずっと社務所にいた。他の町内の人に変な事言われたらたまったもんじゃない。本人を前には言わないからだ。所詮はそんなもんなんだよ。もし、物事を前向きに進めようとするなら面と向かって話せば良い。私は話しかけてみたがあっちは知らんぷりだ。コレが感情論なんだろうね。私だけなら良いけれど、他の方々にも組織の中でやられたらたまったもんじゃないな。
私は一度だけ悪戯心に火がついた事がある。その人が榊を無断で取っている時だ。あっちは気がつかない。私は気がついた。
「コラー!誰だ榊を盗んでいる奴は!」
って言ったんだ。ヤバイと思ったのかメチャクチャあたふたしてたっけ。
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