総代長が代わって
平成16年のお正月。総代長は体調を崩していたようで、私が元日の奉仕をしていると厚着をして挨拶に来てくれた。
総代長「さむいなぁ〜今度エアコン奉納してやるからな」
と、話したのが最後の会話だった。生前はよく自宅まで伺って色んな昔話を聞かせてくれました。戦争の話とか小錦を連れてきた話とか。私みたいのがポッと出てきて働くと行ってきたときの総代長ですから。氏子と宮司と私との間で舵取りも大変だったと思います。本当に有り難うございました。
そして、2月には新しい総代長が就任した。この時の記事にもお話しした方だ。
この時に就任した新しい総代長は私が宮司に就任するときの総代長で大変お世話になった方だ。私が宮司に就任する時のお話はまたゆっくりさせていただきたい。一般人が宮司になるまでのクライマックスなのでゆーっくり綴りたい。人生であんなことがあるんだなと驚きました。
新しい総代長は地元の名家の方で地域で知らない方はいないんじゃないだろうか?誰も怒ったところを誰も見たことがないと言い、物腰が柔らかく、それでいてみんなの意見を聞き、最後には話をまとめて下さる人格者です。祇園祭の最中は決してお酒を飲まない。それは氏子の代表という立場の責任感からで、実際、神輿渡御が終わって社務所で一服ってなったときに総代長がいないぞーなんて騒ぎになったときは、人出の状況や危ない箇所を見回っていたというエピソードがあるくらい責任感の強い方だ。
総代長「宮司さん、お祭りが終わって家に帰ってホッと一息して飲むお酒が美味しいんだよ」
って良く言ってたなぁ。私もその姿を見ているので本祭りの日は決してお酒を飲まない。そして、お祭りが終わって一週間くらいすると自宅に招かれてるんです。その時に慰労をかねて食事をしながら今年のお祭りは何かトラブル無かったかい?無事に終わったかい?って話をしながらお酒を注いでいただく。年下の私にも本当に気さくにして下さいました。人の振る舞い方の勉強をさせて頂きました。
私の宮司就任の後押しのみならず、宮司に就任してからも、40歳以上も年下の私を常に立てて下さいました。私が祇園祭の守谷市無形文化財申請や震災復興神輿総修理、祇園祭奉納提灯などの事業を立案したときも、常に神社のために氏子のためになるならばと賛成し事業成功に向けて道標を作って下さいました。
忘れられない総代長とのエピソード
あれは忘れもしない平成23年の11月。神社に泥棒が入りました。神楽殿に住み着いて賽銭を盗みながら何日かいたんだろうな。それを見つけた私はすぐに警察に連絡を入れたところで逃走したので追いかけて揉み合いになりました。揉み合った際に私は怪我をしたんですが、無事逮捕と言うことで取手警察署に行って事情聴取になりました。その日は年末年始に向けて総代会が予定されていたので、会議の後に警察に向かい聴取が終わってから総代との直会に合流しました。場所は鮨の吉右衛門です。私が到着したときにはお酒も大分進んでいるようでした。
私「申し訳ないです。事情聴取が長引きまして」
するとある総代が私のことを非難し始めました。
ある総代「今回の事件は宮司の管理不行き届きだ。宮司の責任を追及しなければならないぞ。」
周りの総代はまぁまぁと言う感じでなだめてましたが益々エスカレートして
ある総代「責任を取れ!!」
と大声をあげました。そうしたら
バン!
と机を大きく叩く音が響き渡った………
総代長「何言ってんだ!宮司はな、犯人捕まえるのに怪我までしてるんだぞ!この男はな(私のこと)それくらいの強い責任感をもって働いているんだ!なんでそういう所をみてやれないんだ!!」
誰も怒った姿を見たことがない総代長が声を荒げて私のことを擁護してくれました。自分のことでは無く私のために怒ってくれたんです。その場はもうシーンとして、それ以降、誰も泥棒の話題を出すことはありませんでした。
本当に嬉しかったというかこれからも期待に応えなきゃと言うか……まぁ色んな感情が湧きましたね。ただただ有り難かったです。八坂神社の総代長はほとんどの方が亡くなって退任するケースが多いんですが、私を応援して下さった総代長は12年で退任されました。もちろん、私は引き留めましたが、辞める引き際も詳しくは書きませんが見事なものでした。いつまでも健康で長生きして頂きたいです。
そして平成28年には新しい総代長が就任しました。私は現在の総代長にも大いに助けられています。私は恵まれている。私は微力だが神社と祭礼が地域に愛されるよう氏子と守っていくことで恩返しをしていきたい。
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