この話は私が神職になった18年間で一番の修羅場だったろうと今でも思っている。神職になって3年目のことだ。その時は27歳だった。
中止になりそうだった節分祭
八坂神社の節分祭は地域興しの一環で祇園祭に続くお祭りをと氏子さんが始めたばかりの事業だった。私が神職になる前の話だ。このような話を知るだけでも、この地域の氏子さんの八坂神社に対する崇敬の念の篤さを感じることが出来ます。素晴らしいです。
平成14年の年末に行われた総代会で節分祭について協議されました。そこでは節分祭の中止が協議されました。私にとっては初めての話で何が何だか。話をまとめるこうです。節分は必ず5000円で120名集めること。それを地区に割り当てしていたらしいです。その人数を集めなければ節分祭が赤字になるとのことでそれが役員の大きな負担になっているとのことで止めたい。話を聞くと割り当てを守るのに親戚まで頼みに言っていたそうで。
予算の内訳は兼務神社なので奉仕に来る宮司への幣帛料。申込者への授与品(当時はお札やお守りや升や達磨や沢山付けていました)。撒く餅やお菓子などの費用。節分の豆まき舞台の設置費。甘酒接待。氏子の直会費などなど。
ある総代が会議の時に突然、今度は禰宜がいるんだから下村がやれば良いんじゃないか?といきなり匙を投げられました。内心、いきなりはちょっと待ってくれよ…と思いましたが、折角始まったばかりの節分祭を無くしてしまうのも勿体ないなと思い、その場で考えつくものを提案しました。
- 初穂料を3000円に値下げする。
- 割り当てを無くす
- 授与品の数を減らす
です。値段を下げることで子供も参加しやすいようにしました。子供の頃の記憶って大切なんですね。子供に参加してもらいたい。今は多くの子供が参加してもらえるようになりました。きっと正解だったのでしょう。割り当てを無くすことで役員の負担を減らそうと思いました。そして、祈願者にお渡しする授与品は最低限にしました。コストカットを徹底して値下げしても赤字にならないように。でも撒くものは減らさない。
で、総代会の了承を得たわけで節分祭は存続されることになりました。
変わっていく宮司との関係性
私が禰宜になってから総代会には必ず宮司も出席するようになっていた。今思えば兼務神社なのに大変だったろうなと思います。平成15年から節分祭が氏子の管理から私が主催する形に変わりました。
宮司「節分祭はもう行かなくて良いだろう?」
こう聞かれると部下としてはなんとも答えようがない。節分祭は私が管理運営することになった。もし奉仕した場合には宮司の祈祷料は私が支払うことになる。受け取るだろうか?そもそも部下が上司にお手当を出すって変だ。ご理解いただけるか分からないけど本務神社と兼務神社ってそれくらいシステムが違うんですね。ただ、来なくて大丈夫ですとも言えない。もう答えようがない。任せたよって言ってもらった方が答えようがあるんだけどな。
宮司「もう君がやることになったんだから大丈夫だろう?」
念を押されたので
私「頑張らせていただきます」
と答えた。私は変な誤解を招くとマズイなと思ったので、節分祭の前に責任役員全員の元へ行き、宮司は節分祭に来ない旨の話をしておいた。当日になって何で来ないんだ?なんて話になると後々大変だからだ。役員の皆さんは運営が変わったこともあって理解してくれた。
修羅場と化した節分祭
準備を整え節分祭当日を迎えた。私一人では不測の事態が起きたときにカバーしきれなかったら不味いと思い、助勤の神職さんを一人お願いした。打合せも終わり最終確認をしているときだ。祈祷が始まる五分前だ。今でも覚えてる。
助勤神職さん「宮司さん、来たよ」
私「え?来ないですよ」
助勤神職さん「来てるよ。ほら」
私「来るわけないですよ」
とっさに左に振り向く。白衣袴を身につけた宮司が歩いてる。もう??だ。訳が分からない。氏子役員がざわつく。そりゃーそうだ。来ないって言ってたんだから。それが始まる直前に白衣袴姿で装束袋を持ってやる気満々で来た訳だ。私だって訳が分からない。もうどうしようもない。祈祷開始時間まで残り数分。助勤の神職さんもいる。打合せも終わっている。参拝者も整列している。どうしようもない。
外を見ると総代長と宮司が押し問答をしている。何をしているかと思えば、総代長が財布から万札を取り出して受け取ってくれ、受け取れないの押し問答だ。総代長としては宮司が来たんだからお金を払わないとって思ったんだろう。なんでだ?今日の日を迎える前に全ての問題点をクリアしたじゃないか?打合せもしっかりしたじゃないか?何がどうしたんだ?
修羅場だ……
胃が痛い。キリキリする。もうどうしようもない。定刻はとっくに過ぎている。今更、宮司に奉仕して下さいと言えるわけもない。出来るわけないよ。もう去年までの節分祭とは内容が違ってるんだから。ただ、祝詞だけ読めば良いって訳じゃない。祈願者の名前住所も全員読む。玉串も全員供える。豆のまき方も変えた。全てが総代会の時に話したはずだ。直前に氏子さんとも打ち合わせした。
式典が始まった。私が斎主で式が始まる。宮司は真後ろで両腕を組みこちらをじっと伺う。異常事態だ。宮司が来て奉仕しない。この姿をみている氏子はきっと私に良い感情を抱かないだろう。宮司をないがしろにしていると思われただろう。自分本位で進めていると思われただろう。だから私はそう思われないように宮司が来ないとなったときに変な誤解を招いたら不味いと思って責任役員全員の家を伺いしっかり今回の節分祭について説明したんだ。
まさか、宮司にちゃぶ台返しされるとは思わなかった。
祭典を奉仕しながら私は思った。これは終わったなと。もう駄目だ。どうしようもない。自分の力量でどうにかなる話じゃない。宮司は私に祝詞の読み方の間違いを指摘して帰って行った。助勤神職さんにも気まずい思いをさせてしまい大変申し訳なかったです。
胃が痛い。キリキリする…
後片付けの時に
節分祭が終わり私は境内の後片付けをしていた。社務所では数名の役員が残りお酒を飲んでいる。社務所から話し声が聞こえてくる。私の文句だ。
「下村は自分勝手なやつだな」
「下村は人の意見を聞かないやつだな」
なんて漏れてくる。いや、もうね仕方が無いよね。そういう風になってもさ。誤解ですなんて言った所で通用するわけがない。そして、社務所の扉を開けた瞬間、ピタッと話が終わる。いや〜怖いね。自分でブログを書いていて思い出してきたよ。その時の恐怖を。ピタッと話が終わる。ほんの一秒前まで私の文句を言っていたのに私が入った瞬間にピタッと話が終わる。自分の悪口を言われているのをずっと聞いているのもつらいもんですよ。でも、言われてもしょうが無いな。それくらいのインパクトを宮司は残してくれましたよ。
私が常々恐れているのは。誰も私に意見を言わなくなったときだと思っている。人から意見されること、注意されることは有り難いことなんだと。誰も何も言わなくなったときは話のしようが無い。そして誤解が生じ組織が崩れていく。あー書いていてキリキリしてくる。
最後に総代さんが私に一言だけ言ってきた。
「下村、人の意見はちゃんと聞けよ」
節分の翌日に
昨日の悪夢を忘れたいと思っても、あったことを無かったことにするわけにはいかない。問題が起きたらそのままにしないでちゃんと対応をしなければ後々重大な問題になりかねない。
私は急いで責任役員の家を一軒一軒挨拶に伺った。初めての節分祭だったので無事終わったことについての御礼、そして宮司が来た一件についての説明だ。ただ、私は謝ろうとは思わなかった。非を認めるわけにはいかない。もう一度、経緯を説明し理解してもらおうと思ったからだ。幸いなことがあった。ここで生きてきたのが事前に役員の家に伺って説明していたことだ。事前説明なしで当日にあの状態なら私は完全にアウトだったろう。
ある責任役員「一体昨日のあれは何だったんだ」
私「私にも分かりません。ただ、節分前にお話しをした通り、宮司は来ないとの事でしたので皆様にはそのように説明して私の責任で段取らせてもらいました」
ある責任役員「宮司はその話を忘れたのかね」
私「それは分かりませんが、私が自分の判断だけで皆さんに宮司は今回の節分祭に来ないと言えるわけがないです。その点だけは信用していただきたいです」
節分祭という名の修羅場が終わった。
きっとこの一件で私の評判は大分悪くなったろう。総代さん全員にはこの件に時間をかけて説明したつもりだ。理解してくれた方もいたし私に対して批判をした方もいた。でも、地域というのは総代だけではない。きっとこの話はおひれはひれが付いて広がっていくだろう。もう諦めた。人って怖いな。良い勉強になりました。そんな27歳の節分祭でした。
嗚呼…節分祭には鬼がいた…
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