ここまで読んでどのように感じましたか?
長くて読み飽きた人もいるかもしれませんね。重い話ばかりで不快に思う方もいるかもしれませんね。だから、最初は墓場まで持って行こうと思っていたんですよ。でも、心境の変化があり書き残そうと思いました。氏子さんも読んでる人いますかね?驚いてるかもしれませんね。がっかりさせたら申し訳ない。神職の方々、もう書くなと思っているかもしれませんね。ご心配いただきありがとう。でもね、べつにブログだから書いてるわけじゃなくて私はいつでも聞かれれば面と向かって話していますから。聞かれればね。知ってるでしょ(笑)
神職の世界、皆さんが想像していものとは違ったかもしれません。これは私の不徳のいたすところでありますが、どの神社でも実際に起きうる一例です。私は、宮司が代表役員としてなかなか責任を果たせない宮司がいることを知っています。また、私と同様に若い宮司が神社で食べていこうとして多くの総代が辞職してしまった神社も知っています。ひとつ間違えば、大社でも同じ事が起きてしまうのは昨今のニュースなどを見ていればご理解いただけるかと思います。そうです。神社の運営の基盤となるものは人と人の繋がりなんです。それは今を生きている者だけではありません。会ったこともないご先祖様。そしてまだ見ぬ孫たち。過去から未来への繋がり。全ての縁の中を円を描くように生きなければなりません。その中で宮司の役職は大きな責任を負っている事を自覚しなければなりません。
神職を志す者は様々な事情を抱えて奉職する人が多いです。もちろん社家の人が一番多いでしょうが、憧れて目指す者、跡継ぎがいなくて縁があった者、私も18年間の神職人生で様々な方とお話しをさせていただきました。
神職として神社に奉職する者。その全ての方々は何かしらの縁があったんでしょう。
私の例はまぁ稀なケースであるのは間違いありません。ただ、今後の神社界を考えると、民社の宮司が減れば減るほど神社のブランド化が進み、氏神様へお参りすると言う概念が無くなってテレビで見かける大きな神社、有名な神社へと足が運びやすくなるでしょう。もちろん、無人の神社でも氏子が熱心に切り盛りしているお宮もあります。ただ、核家族化が進み、家庭祭祀の継承が失われ、お祭りが神事からイベント化していく昨今ではやはり維持していくのは難しいし限界があることに変わりは無いでしょう。宮司と氏子が一体となって……理想です。
だからといって新しい神職をどんどん増やして民社の宮司に育てようと言うのも無理な話だと思います。社家じゃない神職は仕事先を大きな神社に求めるでしょう。縁の無い神社に入り込む隙間は非常に狭い。地縁のない者が民社の宮司に就任するには大変な労力が予想されます。私は守谷で生まれました。なんとか辞めずにいられたのは、せっかくの縁を無駄にしたくない、辞めたらもう守谷に住めない、親の顔を潰してしまう、そんな思いからでした。もし、そのようなストッパーがない者が余所から民社に来たら果たして続けられるか?難しいと思います。
もし、管理人の様な宮司で良い。必要なときに拝むだけで良い。普段は別な仕事に就いても良い。そんな条件なら社家じゃない民社の宮司も増えるかもしれません。しかし、その程度の仕事しか出来ない宮司に宗教法人法が与える責任はあまりにも酷です。神職も人間です。食べていかねばなりません。民社でそこまで持って行くのには、宮司の相当な覚悟と氏子の協力が不可欠です。良く神主は声を出しているだけで楽な仕事だねと揶揄する人がいます。これだけは伝えておきたいです。社家ではない私がこの業界に入って感じたことだから間違いないです。楽な仕事でありません。職業として成り立たせるのは厳しいです。私は宮司の数を増やしていくためには地域の理解を得て職業として成り立たせる、これが必要だと思います。宮司は責任の重い仕事です。しっかり働いてそれなりの収入を頂くことは何ら恥じることでは無いと思います。
だけれども、それには前提があります。宮司が奉仕することでその成果をしっかりと氏子に還元できるか、です。社頭収入を増やすことばかりに腐心し、氏子と向き合う目を失ってはなりません。何を還元するの?例えば、私の神社であれば、祇園祭という祭礼があります。神社が祭礼を通して、氏子に生きがいや喜びを、地域の発展や交流を、そういうものをしっかりと信仰を通して感じてもらえるようにしなければなりません。氏子の喜びが宮司や奉職する神職への信頼に繋がっていくと考えています。いつか綴るでしょう文化財事業などもその一環でした。あの宮司がいて良かったと思ってもらえる、そのように一所懸命に氏子と向き合わなければ真の繋がりは生まれないと思います。と、なんだか偉そうで悟ったようなことを言っていますが私もまだまだです。18年奉職しても私より年下の氏子役員はまだいませんからね。まだまだ人生の諸先輩方には教わることがいっぱいです。きっと私は地域のど真ん中に入るには若すぎたんですね。私には生きているうちにやっておきたいことがもう少し残っています。今練っています。企んでいます。それが氏子に喜んでもらえるものになるよう願っています。
あ、上町のみなさん、良い写真だから載せるね。事後承諾で(笑)
でもね、そのような厳しい神社界の実情があるなかで、昨年末とんでもない事件を起こしてくれた神社がありました。
本当にもうね、年末に何やってんのって感じでしたよ。
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