そして終わりだと思った
年度が替わり、焦燥感と脱力感が入り交じる。
何も変わらないな……
仕事は本当に少しずつだが入ってくるようになってきた。氏子さんが「近くに神主さんがいると助かるよ!」なんて言ってくれる。嬉しい反面虚しい。私は会計さんにお金を預けるのは無意味だと悟り、自分で帳簿をつけるようにした。したけれど、お金は貰わなかった。たいした額ではないし、貰っても仕方がないと思ったので。
一年間、あれだけ話したのになぜ会議の時に話してくれなかったのか?
そして終わりだと思った。
最後にもう一度お願いをして駄目なら退職しよう。世間からは無責任と思われるかもしれないけど、将来もし宮司になったときに本当の意味で責任をとれない人間が宮司として働いている方が世間に対して余程無責任だと思った。本当につらかった。これだけの時間とお金をかけて結局はこれか……守谷にも住めなくなるかもな……色んなことを考えながらハンドルを切る。そして最後の話し合いに臨んだ。
結果は何も変わらず。
私は退職の願いを申し出た。
意外な反応
私「もう無収入が長く、この環境では厳しいので退職させていただきたいのですが?」
宮司「せっかくここまで資格を取って辞めたらもったいないよ。」
焦ることもなく、微笑みながら話す。あぁ、そうだった。この業界は二足のわらじが多い業界だったのを忘れてた。他の仕事に就きながらやれば良いってことか。
当時、私が所属する北相馬支部には、神職だけでの方はいなかった。年配になって退職されてから神職に専念されている方は大勢いるが、30歳に満たない人がこれから無人の神社から専門職でやっていこうなんてのは今思い返せば茨城県内にもいなかったんじゃなかな?
別の職業に就きながら神職を続ける意思は毛頭ない。神職を副業として捉えて土日にちょっと祈祷して収入を得れば良いじゃない?って思っているのかもしれないけれど、もうね、本当に何かあったときのリスクが高いから。倒木したらどうする?祭礼で事故があったらどうする?責任者は誰?だったら、一生宮司にはならずに禰宜でいた方が良い。もしくは退職して拝屋にでもなった方が良い。そうしたら楽だね。組織に所属するわけどもなく、責任もなく、ちょっとした副収入を得られるわけだから。でもね、そこにやりがいはないよね。私は仕事のモチベーションを保つのはやりがいがあるかどうかだと思っている。私は宮司と言う地位には全く興味はない。ただ、責任を持ってやりがいを持って将来に向けて仕事ができるかがそれだけなので、
私「このままでは将来責任をもって出来ませんので退職したいと思います。もし、私のこと考えてくださるなら話し合いの席を設けていただきたいと思います」
宮司「この前の決算だけど預けないで自分の収入にすれば良いんだよ」
もう帰ろう……
父との話し合い
私は禰宜として八坂神社に登録されている。神職として神社に登録されているとそれだけで年間の登録料のようなものを神社庁に納めなければならない。私の退職もなあなあにされては困るわけで、そのまま八坂神社に名前が残れば請求が来てしまう。それを削除できるのも宮司だけだ。
事情を父にも話をして退職に納得してくれた。申し訳ないことをした。折角、神職になることを喜んでくれて色々とサポートしてもらったのに。この頃はあれだけ反対していた祖父も喜んでいた。ここまできて、神主は食っていけないっていう意味がやっと分かった気がしたよ。世間からは、無責任とか根性がないとか色々と言われるだろうな……両親にも申し訳ないな。そんな感情が入り交じりながら父と今後のことを話す。
私「宮司さん、あの感じだと本気で辞めるとは感じてないと思うよ。」
父「そうか、最初にお願いに行ったのも俺だから最後もしっかり挨拶してくるわ。」
後日、父は宮司の神社へ向かった。
そして宮司が一変した
父が宮司に挨拶に行った。
私「どうだった?」
父「責任役員会を開くそうだ」
私「!?なんて言ってきたの?」
父「このままダラダラと息子をやらせるわけにはいかないから辞めさせて貰いますからって言っただけだ」
本当かよ?絶対なんか言ってきたんじゃないの?それは今でも分からない。あの日、社務所で父が宮司に何を話したかは分からない。ただ、私が2年かけて進めなかったことを父親は数時間で決めてきた。若さって本当に役に立たないな。小僧の戯言くらいにしか受け止められていなかったのかな?それとも私の能力がなかったのかな?有り難いと思う反面ある意味で脱力感が半端なかった。疲れちゃったんだな。
そして責任役員会が開かれることになった。まだ、神職人生が続いてく。
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