私が18年間、神社界に身を投じて色々と感じることがある。あえて記したい。
神社界の課題なのか?それとも慣習なのか?
神社界の課題なのか慣習なのか、聖(聖職者)と俗(経営者)な仕事のうち俗なほうを疎かにしている方が多いのではないかと思う。もちろん、しっかりと運営している民社の宮司さんにお会いしたこともある。でも年齢の近い神職の話す度にお前ら大丈夫か?と感じる時もある。大社など、常に神職を雇用しているような神社ではそのよう事はないと思う。しかし、民社など、地域の神社では別の職業についていたり、収入が多く見込めない等の理由で源泉徴収、社会保険などの義務を履行しているところは少ないと思う。二足のわらじで奉仕してご苦労なさっている宮司さんが大勢いらっしゃるのは分かっています。公務員などを兼ねる神職はそちらで支払っているので、神社で保険や年金を払う必要がないのかもしれません。うちは収入が少ないから国民年金だよなんて方もいる。でも、ちょっと待って欲しい。神社は宗教法人なので社会保険の加入は義務である。収入が低いから国民年金なんだではなく、収入に見合った源泉徴収と社会保険の加入が経営者としての責務ではないのだろうか?
決算だって法人の大切な役目
どれだけの神社が役員に対する決算報告をちゃんと行っているのだろうか?もちろん氏子全員に報告する義務は無い。だが、せめて氏子の代表でもある責任役員には決算報告し適正な法人運営について意見をもらう謙虚な耳を持っているのだろうか?そう考えるといつも神職は職業なのか?というところに辿り着くんだ。それでも私が言いたいのは、自分の置かれている環境が専任宮司でないから知らない、出来ないではなく、宮司職を拝命している以上は祭礼の知識だけでなく、運営に関する知識も普段から学び履行する責務があると思う。
神職で生活が成り立つ方々は宮司数の割合からでは少ない。その反面、別の職業を兼職してそちらに重きをおいて働く方々が多いのも仕方がない事だと思う。しかし、ほかの職業をしているからと言っても宮司は宮司。私はどのような職場環境であろうと人を雇う決断は重い事だと思うし人の一生にも関わる問題だと思う。良く聞く言葉がある。『食えないんだからそこまでやってもしょーがないよ。』分かる。分かるけどだったらそれに私を巻き込まないでくれ。誰かに跡を任せようとするならば、諸問題を解決して引き継ぐ責任はあるのではないかと思う。
私が考える人を雇用する事とは
私も宮司になり、氏子の方々のお力添えもあって社頭は以前に比べ賑やかになり、神職やアルバイトを雇用して経営出来るようにまでなった。もちろん、職員に支払う給料は源泉税をひき、社会保険と労災に加入し、微々たる額だが賞与も支給している。それが雇用者の責任ではないかと思う。一人の人間を雇うことはその人生を背負うのも一緒である。その先には家族だっているだろう。一人の人間を雇い入れることはそれだけ責任の重い行為だと思う。例え、家族経営の神社だとしても前提は変わらないだろうに。
だから私は宮司との話し合いの時でもそこだけは譲れなかった。
もし、社家の人がこの投稿を見ていたらカチンとくる方もいるかも知れない。現状を見ろよと。そんなの理想論だろうと。でも、カチンと来たならば心当たりがあるんだろう?だから私はこう言い返したい。あなた方こそ今おかれている現状をよく見ろと。私達は常に世間の目に晒されながら仕事をしている。世間は厳しい。神社だから許されるという話じゃない。もう昔のように神社の宮司が身分保障されていた時代はとっくに終わっているんだ。宗教法人法を遵守して氏子と同じ目線で神社を運営しないと厳しくなるよと。
情熱を持ち法令遵守する事こそが社家じゃない人間が信頼を得るための入り口ではないだろうか?逆をいえば、社家の人もそれらを守らなくなるようなら先祖代々からの信頼を失いかねないと思うよ。あの八幡様の社家のように。
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