そんな風に思われていたのか?
ある日のことだった。賽銭箱のあたりを掃除していると氏子総代の一人が私の元にやって来て熱弁を語る。誰かに聞いたんであろう、ある神社の神職が起こした不祥事の話だ。その話の中で突然こんなセリフが出てきた。
「神社は氏子が守らなきゃならないんだよ。神社を乗っ取られるわけにはいかないんだよ」
あぁ、私はそういう風な目で見られているんだな…虚しかったな。俺は神社を乗っ取ろうとしていると思われているのか…このセリフは堪えたなぁ。何の為に資格をとったのか?そういう風に思ってたなら資格を取る前にうちの神社に宮司はいらないって言ってもらった方がよっぽど良かった。勿論、私は60歳以上も年上の方のお話なので、これも今置かれている自分の現状と言い聞かせてその言葉を心に刻んだ。言っていることは理解はできるんだ。若いやつがいきなり宮司になって何でもかんでも自由にされて神社がおかしくなってしまうんじゃないか?そういう論理が働いても何ら不思議では無い。そして、神社は先祖代々氏子が宮司不在の中で守ってきたと言う自負もあるだろう。全ては現状を知ること。問題の解決は気付き。一番怖いのは誰も何も言ってくれなくなったとき。厳しい言葉は問題解決の第一歩だと思っているので、その話を受けとめる事がその時の自分には大切なことだと言い聞かせた。
が、家に帰って冷静に考えてみる。神社に神職がきて神社を乗っとる…何だか辻褄が合わない日本語だな。神社に神職がいる。普通のことなのにな。とにかく全ての原因は自分の不徳の致すところ。信頼の無さ。じっくりやろう。よく聞くセリフでさ、若いって何でも出来るよね!若さはすばらしいよ!なんてのを聞くけど、今でも思う。この業界では若さはなーんも役に立たない。今でも信じられない言葉がある。神職になって8年目頃に言われた言葉だ。宮司がある人に「新人の下村君です」って紹介していた。一般社会じゃ8年目を新人とは言わないよね。この時ばかりはこの業界の人は時間が止まってるんじゃないのか?って思ったよ。まぁ60歳でも若手って言われる世界だしね。
ある宴会の席で
ある氏子総代が酒がまわってきたのか私がお酒を注ぎまわっている時に突然こんなことを言い始めた。
「八坂神社に宮司なんていらねーんだよ」
間髪入れず別の氏子総代が言う。
「いや、形式上だけでもいないとダメなんだぞ。」
お酒の席は本音がポロリと出やすい。話はまだ続く。
「下村、お前は石神神社って知ってっか?」
石神神社はある地区が管理している小さな祠だ。まだまだ私は八坂神社のことで精一杯で地域のことまでは把握できていなかった。昔ながらの地域には宗教法人になっていない地域で管理している小さな神社が沢山ある。そのうちのひとつを聞いてきた。
「いや、分からないです」
「お前は石神神社も知らないで神主やろうとしてるのか?笑っちゃうな」
こちらを見ながら大きな体を揺らして笑っている。
八坂神社で自分の置かれているポジションが分かってきた。現状では必要とされていない事が分かってきた。とにかくこのような事にいちいち感情的になってはいけない。本当に恐ろしいのは沈黙だ。このような言葉を投げかけられて、じゃあ何ができるか。考えろ、考えろ、考えろ、だ。
話すことの大切さ
私は父親からもし神社のことで困ったときはこの人に相談しろと言われていた総代がいた。私は教えてもらった氏子総代に腹を割って話をしてみようと思い自宅まで伺った。竹を割ったような本当に気持ちのいい人だ。会社の社長でもあり、経営には熟知している人だ。私は、神社の運営のこと、宮司との関係のこと、自分が将来どうやっていきたいかなど全てを話した。すると、
「そうだよな、せっかく八坂神社の神主になってくれたのに応援してやるのが氏子だろうよな。何とかやって行けるようにしてあげないとな」
あぁ、応援してくれる人もいる。これだけ救われた気がした。応援してくれる人がいるなら、見てくれている人がいるなら頑張れる。実際、役員会があるたびにその総代は年上の総代対してもに私について意見をズバズバと述べてくれた。まずは、応援してくれる人たちの期待を裏切らないように研鑽しよう。その後、何かあるたびに自宅に伺って相談させていただいた。その度に嫌がらずに応援してくれた。本当にありがたかった。後日談になるが、私が宮司に就任する際にはこの方を初め若い総代の後押しを頂いたとのことだった。その話もいつかまた。
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