前回の話を驚かれた方もいるかもしれない。なぜそのようになってしまうのか?これは私だけに起き得る問題では無いと思う。だが、そのような問題を解決するのは容易ではない。これからの話をより分かりやすいように宮司の仕事について話しておきたい。それから次の話へと進みたい。ここにすべての問題の出発点があるからだ。
聖と俗の仕事
前回の話の補足として宮司の仕事について触れておきたい。これが分かってもらわないと今後の話に誤解を招く可能性があるからだ。宮司に就任するということは同時に宗教法人の代表役員にも就任すると神社規則に定められている。ほかの宗教法人では祭祀を行う宗教者と法人を運営管理する代表役員を分けて運営している団体もある。神社の場合は神社規則により宮司は代表役員兼ねなければならないと決められている。つまり同一人物が聖(聖職者)と俗(経営者)な部分を併せ持って仕事をしなければならない。
聖なる仕事とは
神社において聖なる部分を受け持つのは勿論宮司だ。神を祀り、祭典を統括し、総代とともに氏子の教化活動をし、地域の安寧を祈り、伝統文化を守る。それらの活動を地域の発展に寄与させていかなければならない。祭礼は地域の代表である総代会の助けを得て、宮司は聖職者として神社の宗教活動を担う責任者に当たる。
俗な仕事とは
宗教法人において俗な部分を受け持つのは代表役員だ。宗教法人は数名の責任役員会で運営される。責任役員会では神社の決算や財産処分などの権限が与えられており、代表役員である宮司は会計管理し責任役員会に報告し法人が適正に運営されているかを報告しなければならない。つまり、代表役員は法人を管理経営する責任者に当たる。
宮司は法律に則って二つの役目をバランス良く執行しなければならない。このバランス良くっていうのが難しい所なんだ。例えば、宮司が俗な面、つまり経営を主体に宗教法人を運営したとする。皆さんもご覧になったことがあるかもしれない。アミューズメントパークのように賑やかで楽しそうな神社を。要は収入に重きを置いてしまい肝心な宗教活動が疎かになってしまって氏子が離れていくパターン。そして、宮司が聖なる面、つまり宗教活動のみに主体をおき宗教法人の管理運営を疎かにしてしまったとする。そうすると神社の収入が不安定になり根本である社殿や拝殿の維持管理が難しくなり最後には神社が無くなってしまうパターン。どちらに重きをおいても宮司の仕事に両面性がある以上はその責任は重いものだと思う。
宮司は拝み屋では無い
そう、宮司はただ拝んでいれば良いというわけではないんだ。このように、法律上でも重い責任が課せられている。前回、話したように宮司になっても拝んでるだけで良いではとても責任ある管理はできない。例えば木が倒れたり、祭礼で事故があったり、神社の運営上で違法行為が発生した場合の最終的な全責任は宮司にくるのだ。祭礼の最終責任者は宮司。法人運営に過失があれば代表役員に責任が。私は拝んでるだけなんで分かりません、詳しい話しは氏子さんに聞いて下さい、なんてのは警察や裁判所には絶対に通用しない。ならばいっそ宮司には就任しない方が良いって言う話になってくる。
自分の将来のことを考えたときに、あの引き継ぎ内容にはとても納得できなかった。私は氏子に信頼してもらう事がまず第一と考えた。神社に神職が常駐して働くことはどんな事なのかをまず知ってもらおうと一生懸命に神明奉仕した。それと並行して宮司にきちんと上記のこと(本務宮司の職務)について氏子に説明し理解を得てもらうように働きかけ続けたんだ。私が氏子に話してはダメなんだ。自分本位に思われて逆効果になるのは目に見えている。代表役員たる宮司が宮司が常駐する本務神社というのはこういう事なんですよと話をしてくれないと今後の議論も始まらない。でも、宮司はそんなことはこんな若造に言われなくても百も承知だった。理解した上での事だったんだ。故にこれからさらに問題が複雑になっていく。
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