そして秋。秋には新嘗祭と言う祭がある。勤労感謝祭とも呼んでいる。
ここが私の八坂神社禰宜としての奉仕するデビューの日だ。プロ野球でニュースになるような鮮烈なデビューなんて言うのはテレビだけの話で、大体の仕事のデビューって言うのは皆さんほろ苦い記憶しか無いんじゃないかな?私もそれに違わずほろ苦い記憶しかない。
祇園祭から約4か月。普通の人から神職になった。始めての祭典奉仕。この日は役員の顔合わせの日でもあるので八坂神社の全役員がそろう。八坂神社の氏子会は総代、大世話人、年番と言う役職があり総勢60名近い人達が集まる。その前で奉仕するわけで…
祓詞、声が上手く出ない、汗が滴る、冷や汗の。立ち上がるときに袴の裾を踏む、よろける。後からクスクスと二人くらいの笑い声が聞こえ「なんだかあれ」みたいな茨城弁の声が聞こえてくる。ここは國學院大で教わったのは別世界の場所だ。まったく役に立たないとまでは言わない。でも…神職としては今思えば全く通用しないよな。学校で習うのは大きな神社を想定しての式典だし、それすらも全て覚えて帰ってくるわけじゃ無いからね。ひたすら実践で覚えるしかない。
式が終わった後は全員が公民館に移動して顔合わせをする。宮司が紹介する。
「この度八坂神社で禰宜として勤める下村君です」
私も挨拶をしたが特に誰も何も反応はない。シーンとしていた。歓迎されているのかされていないのかも分からない。自分の立ち位置が分からない。そんなことを実感する新嘗祭だったな。
不作法で笑われたこと。恥ずかしかったが自分はまだその程度だ。恥を知らねば恥搔かず。このときばかりは若さに感謝した。人生は恥多し。特に若いうちは恥をかくほど成長できるんじゃないか。そう思うしかなかった。
今、当社には講習会で直階の資格を取得した神職が奉職している。私が推薦した社家ではない人間だ。率直に羨ましいなと思ってる。分からないときには聞ける人間が常に横にいるわけだから。当時、私にはいなかった。逃げ道なんて無かった。氏子さんに神主なんだからこれくらい知ってるだろう?って聞かれても分かりませんと答えるしか出来なかった。そんな事も知らないのか?と言われた。ただ、彼はもう40歳。恥はかけない年齢だと思う。自分は聖職者であることを自覚し、常に人に見られていることを意識し、一生懸命勉強して氏子の期待に応えられる権禰宜になってもらいたい。社家でない人間が神職になると、今まで普通だったことが不作法になるって気がつかないんだよ。(←経験者語る)
さて、2月には正階の講習会がある。のんびりしている暇はない。落ちるわけにはいかない講習会がもう一度やってくる。正階の資格をとったら宮司交代すると言われていたからだ。
しかし、実際に宮司に就任したのはそれから9年の月日が流れた後だった。
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