8月になり東京へ向かう。
「この講習会は親の死に目にも会えない位の覚悟で行ってね。1日でも休んだら資格もらえないからね。神職ってそう言う仕事だから」
と言われたので祖父母と両親には死なないでねと冗談を言って守谷を出発した。死に目に会えないなんてそんなことないだろうと思っていた私は宮司に就任して実体験するとは思わなかった。心が甘かったんだろうな。父の通夜には出ていない。骨も拾っていない。この話はいつかまた。
講習会の話は長くなるから感想だけを述べたい。
今回は直階と呼ばれる資格を取りに来た。全国から60人くらいいただろうか?ほとんどの人が社家だった。どこかの神社の子弟や親戚がほとんどで年齢も様々。受講する理由も様々。人生色々だ。
1週間のうちで休みは1日だけ。朝から夕方までずっと授業をしながら、テストとレポート提出する日々で想像以上にハードだった。休みの日はみんなで集まって作法の練習。私も会社辞めてるわけで落ちるわけには行かないから必死ですよ。落ちたら恥ずかしくて守谷に帰れないし。
社家の方々とは違い、私は全くの無知状態なので覚えなければならない量が半端ない。礼儀作法、法律、祝詞作文など1ヶ月のうちに様々な授業を受け、私は初めてここで宗教というものに向き合った。この頃の私は宗教を信じる信じないと言うごくごく一般の方が考える事を自分の心でどういう風に消化するかで悩んでいた。
「宗教…信じる…信じない…救う…救わない…自分の中で答えが出せないものをどうして人に説けようか?」
ある授業で怖そうな先生が最前列の受講生に質問をする。
「君は神様と会ったことがあるか?」
質問された受講生ははこう答える。
「あります」
先生はこう続けた。
「君はすごいな。私は長年神職をしているがまだ会ったことないよ。どんな姿形をしているんだ?教えてくれ」
受講生はもう黙るしかなかった。私も話を聞いていて見たことがあるって聞いたときはマジかよ!と内心ビックリしたが。その後の先生の話が自分の中のわだかまりを解消させてくれた非常に有り難い授業だった。
要はこの授業は世界宗教と民族宗教、一神教と多神教の違いを教えてくれた授業で神社神道は民族宗教で多神教だと言うこと。神社神道は救う救わないの世界では無く、心のよりどころで日本人の礼儀や作法や考え方が祭という形で体現されていると言う内容だったわけで。
この授業でやっと自分の中でわだかまりが消えた。
要は自然が神様で自然の恵みを得て祭という行事を通して自然の神々に感謝する。また、自然が神様で時に自然は猛威を振るいそれを鎮めるために祭と言う行事を通して自然の神々を畏怖する。
と言うことなんだろうなと考えた。なので、神社は神様が見える見えない、神様が人を救う救わない、と言う世界でなく祭を通して人間成長を促していく人生儀礼の宗教なんだと自分の中で解釈したときに、あぁこれで自分が納得しながら人にも説明出来るなと初めて思えた。
日は流れて大祭式の作法の試験が終わりいよいよ合格発表だ。私は合格していた。嬉しさ余りない。落ちた人が結構いたし、半年後には正階の講習会も残っている。余裕なんてあるわけ無い。でも落ちる人なんていないって大嘘じゃないですか〜(←3回目)
すぐに宮司と親に連絡を入れた。合格しましたと。
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