18年前に奉職したときの氏子総代はみんな退職されてしまった。気がつけば私が八坂神社で一番の古株になってしまった。初めての総代との関わり合い。衝撃的で良い思い出だ。もう触れても良いだろう(笑)誰にも話したことのない有り難くもあり厳しくもある思い出だ。
宮司の推薦がもらえたからと言ってすんなり神職になれるわけではない。神社は地域の氏子、その中でも中心的に活動している総代に了承をもらえなければ、たとえ資格を取っても奉職で来るはずがない。私が宮司との面接を終えたときに総代には話をしておくからとの事だった。
その後、父に氏子総代に挨拶に行ってこいと言われた。
当時の私は神社のシステムを全く理解をしていなかった。氏子総代?そう言えば、うちの町内の山車に氏子総代の名前が書いてあったな…その人のことかな?くらいだ。恥ずかしい話だが、当時は自分の住んでいる町内の方でもなかなか把握できなかった。知ってるのは友達の親と近所のおじさんくらいだよ。どうしようもない無知だ。父に聞けば、八坂神社は11町内で運営し、その地域の代表として10人の氏子総代がいるという。無人神社なので氏子総代は実質の神社運営の決定機関だった。
「名前と自宅を教えてあげるから一人で挨拶に行ってこい。この順番で行くんだぞ」
知らない人の名前しかない。あったことのない人ばかりだ。みんな40〜50歳以上年上の人ばかり。うちの爺さんより年上の人もいた。後になって分かったけど、みんな地域の有力者で元商工会の会長、元市議会議員、医者、会社社長、名家の方等そうそうたるメンバーだった。当時はそんなことも分からない。父もそこまでは教えてくれなかった。先方がどんな方かも分からずにとりあえずスーツを着て、若さという無鉄砲さと一緒に一軒一軒ご挨拶回りに伺った。父が言っていた順番って今思い返せば総代長、責任役員、総代の順番で行ってこいって意味だったんだな。
この挨拶回りが思い出深い…色んな方がいらっしゃって…
「この度、宮司の推薦で神職の資格を取りに行くことになりました下村と申します。よろしくお願いします」
挨拶回りは週末の午後3時を過ぎた頃に伺うことにした。反応は様々だった。皆さんの玄関先でご挨拶させて頂きました。もちろん応援してくれる方が多かったけど、宮司からの話を良く分かっていない方、無関心の方、有り難いお説教する方、酔っ払っていて話にならない方もいた。一番驚いたのが挨拶に伺っただけでひたすら玄関先で怒鳴りつけられたことかな。怒鳴られてる理由が全く分からない。こちらは直立不動で放心状態。見かねた家族が割って入ってくれて今日は帰って下さいと。
これからどうなるんだろう?そんな思いがよぎった挨拶回りだった。でも色々な反応があったのは仕方がない事だと思う。25歳の若者がいきなり神職になるというのだ。しかも、誰も私のことを知らない。そんな若者がいきなり家に来てお願いしますとなれば警戒する人だっていると思う。
はっきり言えば私には信用がなかったのだ。神職とはそれほど地域にとって重い仕事なんだろう。本当に良い経験をさせてもらったと今でも感謝している出来事だ。
挨拶回りもしたんだ。もう後戻りは出来ない。やるしかないぞと自分に言い聞かせて家に帰った。
村社の社家の方は余程のことが無い限りこんな経験はしないと思う。親から受け継ぐというシステムが出来上がっているのだろうから。
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