5年前くらい?
「下村君、最近派手にやってるね」「いや下村君やるね〜」
私「何のことか分からないです。何のことですか?」
「聞いたよ、住宅展示場に地鎮祭の営業回り行ってるんでしょ?」
いや、そんなの一回も行ったことないのに。
「だって、○○くんから聞いたよ」
ふぅ、全くしょうが無い話だ。基本的に地鎮祭は自分の管理している地区以外は行かないというのが原則だ(建前上ね)。神職のそのような営業活動は基本的に認められて無いと思う。他の人は知らないけど私は1度たりとも行ったことがない。
出る杭は打たれるってこういうことか?でもそんなに出てないのにね(笑)
さて、そんなこんなで嘯いたある若い神職を交えて三人で珈琲哲学でお茶をする機会がありまして。
「いやー最近仕事無いんすよー」
あ、そうですか。
「七五三も減っちゃって、下村さんに行っちゃってるんじゃないっすか?」
いや、おたくとうちは相当離れてるから関係ないだろ。
「そう言えばうちの親戚が守谷で建設会社やってて若い神主が営業に来るんだって言ってるんすよ」
さて、本人に向かって良く言えたもんだなと。
私「ところで俺はそんな事をしたことがない。一体どこの建設会社なの?」
「守谷ですよ」
私「こっちだってそんなあること無いこと言われたらたまらないから教えてくれよ。一緒に行こうぜ」
「…」
お宮が地域から崇敬の念を抱かれるようになるためには、ただただ神職が氏子との信頼関係を築き真面目に奉仕する。社頭を清掃し気持ちよく参拝者を向かい入れ神様との仲を取り持つ。それだけだと思うけど。社頭の繁栄に近道はないよ。
たとえば私の神社のすぐ隣で地鎮祭をしていたとしても悪いのは建て主でも神職でも建築会社でもなく私自身なのだ。私自身が氏子に氏神様の宮司に地鎮祭をやってもらいたいと思ってもらえない私の人徳不足なのだ。
何でも人のせいにしていたら成長はないよ。年下の君。
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