一般人が宮司になるまで

一般人が宮司になるまで ⑲父の死と夢枕で教えてくれた事

平成25年10月の健康診断でガンが見つかった。父は治療を拒んだ。抗がん剤も手術もしない。最後を自宅で迎えることを選んだ。看取りの医者として有名な平野国美先生(http://www.homeon.jp)に最後をお願いした。ばあちゃんもお願いした先生だ。父親を見て私も最後は自宅で迎えたいと思ったな。

父は自分の死期を悟ると何か神社に残してやろうと言い出した。

「良弘、神社に何か必要なものはないか?奉納しよう。」

「うーん、境内に幟がほしいかな?」

「いくらするんだ?」

「これくらいかな?」

と話すと後日、私にお金を手渡した。そして母親との金婚記念として幟竿が奉納された。
最後に幟の前で記念写真を撮影した。最後の写真だね。幟が建ったのは亡くなる18日前だった。間に合って良かったな。
父ちゃんは死んだら左側の幟に居て神社を見守ると言っていた。右側は母ちゃんに残しておくらしい。私は今でも幟を見上げるたびに思い出す。

父の死 

父ちゃんの死 平成26年7月18日

父親の最後の食事をよく覚えている。食べるのがつらかったんだろう。最後の食事と悟ったのか納豆ご飯を思い切り詰め込んだ。その日から容態が悪化していった。最後の数日は兄弟が交代で看病をしていた。ちょうど私と義姉が看病していたときに様態が急変した。

父がもう厳しい状態のときに思い出したことがある。祖父が死んだときの事だ。11年前の出来事だ。

ただ、あのときと違う事は私は宮司に就任していた。11年の年月が過ぎていた。身内が死んだ神主には拝んでもらいたくない。また繰り返すのかな?とりあえず、事態が事態だけに総代長だけには相談しておこう。総代長も代替わりしていた。後にお話しするが、この時の総代長は私の恩人と言っても言い過ぎでないくらいお世話になりました。その話もまた後で。


「父が危篤でおそらく祇園祭までもたないと思います。」

総代長は自分の身内の事のように悲痛な顔をしていた。

「もしもの時はどうしましょう?祭礼の事もありますし。祖父の時に奉仕をしないように言ってきた氏子がいました。ですが、私も宮司の立場になり、祭礼の内容も大きく変わり、私にしか分からない事が沢山あります。今からでは助勤神職もお願いできませんしどうしたら良いものか。」

総代長「下村宮司さんにお祭りは仕切ってもらわないと成り立たないから大変でもやってもらえないだろうか?」

「そう言っていただくと大変有り難いです。私ももしもの時に備えて準備いたします。また、氏子に何を言われても大丈夫なように、もし祭礼期間中に父が死んだ場合には葬儀関係には一切関わらないで祇園祭だけに集中いたします。総代長からも何かありましたら氏子にそのようにご説明頂けますか?」

総代長「もちろんです。下村宮司には大変かもしれないけれど宜しくお願いします。」


そして父は祭礼が始まる直前に旅立った。お通夜と火葬は祭礼期間中に行われた。私は祭礼期間中は父の葬儀に関してはノータッチだ。お通夜にも参列していない。火葬場にも行っていない。だから、私は父の骨を拾っていない。そんなルールは無いかもしれないが、氏子に宮司はそれくらいの厳しい姿勢で例大祭に臨むんだと理解してもらうためだった。お通夜は自宅でおこなれた。そして、火葬の日、自宅からバスが出発した。バスは自宅から左折して火葬場へ向かおうとしたところを方向転換して右折した。右折は神社の方向だ。バスの中で私があまりにもかわいそうだから神社の前を通してあげてほしいと言うことになったらしい。バスが神社の前を通る。私は笑顔で手を振った。バスに乗っている親類はなんだ、よっちゃん(私の事ね)笑ってるね、そんなに落ち込んでないねって話になったらしいが、私はバスの前の霊柩車に乗っていた母親がこっちを見て笑っていたから笑って送り出したんだ。送り出すときは笑顔の方が良い。

夢枕に立った父

本祭りを迎える土曜日の朝だった。私は夢をみた。

父ちゃんが僕の子供の頃の若い姿で現れてこちらを見て笑っている。黒髪だ。私の父はあまり笑わない人だった。

「あれ?父ちゃん死んだんじゃなかったっけ?」
こちらを見て笑っている。
私「もう楽になったの?」
「あぁ」
こちらを見て笑っている。

そして夜が明けた。不思議な感覚で朝を迎えた。何だ、しっかりやれって事なのかな?


本祭りが始まった。11年前とは違って誰からも何も言われなかった。むしろ、頑張れ頑張れと氏子さんに激励された。あぁ…その時、私は11年前を思い出していた。人に認められる、理解してもらう、信用してもらう、それは大変なことであり、この十数年である程度自分の立ち位置がしっかりしてきたんだなと感じることが出来た。今でもこの仕事においては若さは役に立たない。それは今でも思っている。だけれども若い内は恥をかくことが出来る。恥を知らねば恥搔かず。それが己の成長に繋がる。改めて気がつかされた。

両親に奉納してもらった幟竿には氏子の皆さんが幟旗を奉納してくれた。参道に幟がある風景は美しい。父ちゃんは左側にいるのかね?
この写真は今でも実家に飾ってある。

二人の死が教えてくれた事

私は祖父と父にその時その時の自分の立ち位置、神社での立場、そのようなことを客観的に分かるよう教えてくれたんだと思っている。祖父の亡くなったときには自分は無力さを感じ、まだまだ世間から認められているわけではないんだなと思えた。父が亡くなったときには、宮司になりしっかりと責任ある立場で神社に奉職しているのを感じることが出来た。それって、分かるようでなかなか分かりにくいものなんだよ。神職になってから父の死まで13年くらい奉仕したかな。その期間である程度は私も認められたのかなって感じることが出来た一コマだった。でもまだまだだけどね。

私は父の骨を拾っていない。だから父ちゃんが死んだ実感が今でもない。蒸発したんじゃないかって(笑)だからそんなときは神社のポールを眺めるんだ。

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